探険家の歴史 第3部(環オホーツク海の探険家達) プロローグその2

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 日本とロシアはあらゆる意味で対照的な国柄である。まず国の大きさだが、日本は37万㎡、一方ロシアは1700万㎡、45倍も大きい。

 それに対して人口は、日本が1億3000万人、一方ロシアは1億4000万人、ほぼ同数であるので、人口密度は日本が37倍ということになる。

 ただ、日本の大地のほとんどが温帯地域なのに、ロシアは領土の大半がタイガかツンドラ地帯で、農業には適さない地域が多い。

 ロシアはその歴史の中で、ヨーロッパに属する地域だけが国として成立し、ウラル山脈より東の広大なシベリアの地域は、ヨーロッパの先進国やアメリカ合衆国の成立と同じく、敵対する国を制圧したり、先住民族を征服することによって得られた、新たに獲得された領土だった。

 ロシアはポルトガルやスペインやオランダ、それに遅れてイギリスやフランスやドイツが自国の領土拡大のために、大航海時代を経て、海から後進地域を侵略し植民地化したのに比べ、自国の領土拡大をウラル山脈より東の地域であるシベリアの地への進出によって果たしていった。

 このロシアの東方進出はイワン四世の頃から始まり、ロシアはシベリアを制圧し、ベーリング海を越えて、アラスカまでその領土とした。

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   現在のアメリカとの国境地帯、チュコト半島の春風景 ↑

 カムチャッカ半島の征服や千島列島からの南下はその後である。

 また、シベリア進出の果に、アムール川流域やその対岸のサハリンにも渡った。

 一方日本は、鎖国下の江戸時代に、当時は蝦夷地と呼ばれていた北海道の探険を始めていくが、ここは、これまで日本人が入ったことのない地域がほとんどだった。

 更に、北からロシアの南下に対しての脅威に備えて、幕府命令で樺太や千島列島への探険も始めていく。

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  クロテンを獲り尽くしたあと、ロシアは千島列島に生息するラッコを求め、南下を開始した。日本の鎖国中の出来事 ↑

 ロシアにとっても日本にとっても、オホーツク海沿岸の半島や大小の島々は、初めて踏破する土地で、探険家の手を借りねば極められる場所では無かった。


 
 こうして、江戸時代において、オホーツク海沿岸の諸地域でロシア人と日本人が初めて出会うことになる。

 そして、そこで、狩猟採取を主な生業とする少数先住民族とも初めて出会うことになる。

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   村上春樹の1Q84で紹介済みの、噂のギリヤーク人 ↑

 それはロシア人も同じことである。もちろん、日本人は蝦夷地の先住民族であるアイヌ民族は知っていたが、ギリヤークやオロッコやコリヤークに対しての知識は皆無だった。

 そこで、沢山の物語が生まれたが、その幾つかをここで紹介することとする。

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