越前と若狭の旅 その22 平泉寺白山神社に向かう

 今日7月29日(水)の日程は下記のとおりである。

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 昨日は足羽川に沿って走行し、その後美濃街道を走ったが、今日の旅は九頭竜川本流を一日かけて下る旅である。

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 まず黄線の道路を走り、平泉寺白山神社に向かった。

 平泉寺白山神社は、福井県勝山市平泉寺町平泉寺に鎮座する神社で、717年に泰澄によって開かれたという。

 中世以降比叡山延暦寺の勢力下に入り、霊応山平泉寺として知られるようになる。

 白山信仰の越前側の禅定道の拠点(越前馬場)として、最盛期には48社36堂6千坊、僧兵8千人の巨大な宗教都市を形成した。

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 その平泉寺白山神社に午前9時3分に到着した。

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 ここをア;白山神社社務所、イ;拝殿、本社、ウ;南谷発掘地の順に見て回る。

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 遠く見えるのは結界の入口である一の鳥居で、まずそれを目指して精進坂(この坂より上は魚類の持ち込みが禁止だったので、こう名付けられた。)を上がっていく。

 白山という大山塊は越前、加賀、飛騨の三国にまたがっていて、それぞれの登り口を馬場というが、馬場とは明治までの日本語では広い道路というほどのことばである。

 三国それぞれの馬場には白山を祭祀する社寺があり、越前の馬場がこの平泉寺白山神社なのである。

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 一の鳥居をくぐるとすぐに左側に建物が見えて来て、門に白山神社社務所と書いてあり、その下に小さな字で、元北国白山平泉寺本坊と書かれていた。

 天正2年の一向一揆による焼打で平泉寺が滅んだあと、一坊だけが再興されこの広大な領域を平泉寺(玄成院ともいう)という呼称で管理した。

 玄成院は寺格が高く、江戸期には毎年恒例の日に福井城に登城し、勝山藩が創設されてからは勝山城に登城して藩主とその一族に対面した。

 明治初年の廃仏毀釈・神仏分離で、平泉寺は寺でなくなり、白山神社という神社になった。

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 社務所には入れなかったが庭には入れた。

 庭は室町幕府管領細川高国がつくったと伝えられており、建物の東側に位置する廻遊式枯山水庭園となっており、主要部の広さは約1,200㎡を有する。

 正面上段には築山が配置され、立石・伏石による石組が施されている。

 名園とのことだが、苔だけが印象深く、あとはさっぱり記憶に残らなかった。

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