「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その15 浄妙寺から報国寺へ(k)

 青砥藤綱旧邸跡を発ち、金沢街道を浄妙寺そして報国寺と歩いた。

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 まず浄妙寺である。

 浄妙寺は鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院で、山号は稲荷山(とうかさん)、本尊は釈迦如来、開基は足利義兼、鎌倉五山の第五位の寺格である。

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 ところで五山制度とは我が国の禅宗のうち臨済宗寺院の格付制度で、幕府が任命した住持(住職)を順次上位の寺に昇進させることにより、幕府の管理下に置きコントロールしようというもの。

 鎌倉幕府の五代執権北条時頼の頃に中国の五山の制に倣って導入したのが始まりで、最終的には京都と鎌倉にそれぞれ五山、その上に「五山之上」という最高寺格として南禅寺が置かれた。

 現在の五山の順位が決まったのは1386年の室町幕府三代将軍・足利義満の時で、五山の下には、十刹、諸山がある。

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 本堂は寄棟造で銅板葺(もと茅葺)、平面は方丈形式の六間取りで江戸時代中期の建物だが、仏壇周辺などには室町時代の材が用いられている。

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 喜泉庵は天正年間(1573〜1591年)に建立された茶室喜泉庵を復興したもので、ここの枯山水庭園は特に有名で、この辺を中心にかなりの数の素人絵描きさんたちが筆を走らせていた。

 なお、この寺の裏山の稲荷山は藤原鎌足が子孫のために霊鎌を埋めた地とされ、複数ある鎌倉の地名由来伝承の一つとなっている。

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 次に報国寺に向かった。

 報国寺は臨済宗建長寺派の寺院で本尊は釈迦三尊、境内に約1000本の孟宗竹が広がる日本有数の美しい竹林があり、このことから竹の寺とも称されている。

 開基については足利尊氏の祖父足利家時とも上杉重兼ともいわれており、臨済宗における寺格は諸山に列せられていた。

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 家時から二代後の足利尊氏は室町幕府を樹立し、関東を治めるのに子息基氏を鎌倉公方に据え、四代九十年にわたって栄えていたが、1438年におきた永享の乱で敗れて四代鎌倉公方持氏は瑞泉寺塔頭の永安寺において、嫡子義久は菩堤寺報国寺に於いて自害割腹した。

 報国寺は関東に於ける足利公方終焉の地でもある。

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 報国寺の境内を急ぎ足で散策し、これからこの鐘楼の後ろに控える日本有数の竹庭に突入する。


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