越前と若狭の旅 その39 賤ヶ岳古戦場から塩津まで

 木之本から賤ヶ岳古戦場を目指した。

 ここで行われた賤ヶ岳の戦いは、1583年に賤ヶ岳付近で行われた羽柴秀吉と織田家最古参の重臣柴田勝家との戦いである。

 秀吉はこの戦いに勝利することによって、亡き織田信長が築き上げた権力と体制の正統な継承者となったのである。

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 賤ヶ岳合戦跡は余呉湖の周辺に沢山あり、今回の旅の目的には入っていなかったので、せめて賤ヶ岳古戦場跡を見ようと賤ヶ岳リフト乗場に行ったが、土日営業ということで今日は休みとなっていた。

 仕方がないので、塩津の町を見てから塩津街道で今夜の宿となる敦賀まで行くことにした。

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 途中で琵琶湖が見えてきたが、琵琶湖も後ほどじっくり見ることとして先を急いだ。

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 30分程走り、午後2時19分に塩津入口に建つ塩津神社に到着した。

 この神社の創祀年代は不詳である。

 この地はやはりその名のとおり製塩に関係があり、当地の志波谷には、塩池という小池があり、里人は、その池で水を汲み製塩を行っていた。

 上古、意富々杼王(応神天皇の孫で継体天皇の曾祖父)が訪れた時、当地の製塩に感嘆して塩土老翁(シオツチノオジ)を当地に祀ったのが社のはじめという。

 塩土老翁は老人の姿であらわされる事が多い海の神で、神話の中では見識を備え幅広い知識を持っている人生経験が豊かな神として描かれている。

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 奥まったところにこの本殿が建てられていた。

 本殿は、1694年に湖北地方で活躍した長浜の大工藤岡甚兵衛光守の手によって建てられたもので、藤岡家の代表的な神社建築で建立年代が知られている最も古い建物。

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 琵琶湖湖畔に位置する塩津神社の前には、こんな風景が見えている。

 塩津は古来より、敦賀と琵琶湖の水運を結ぶ主要道「塩津街道」の基点として栄えていた。

 近世まで、北陸から京都大阪に向かう物資の多くは塩津街道を通って塩津に運ばれ、ここから船に積みかえて琵琶湖を渡り、大津で陸揚げしてから陸路で目的地まで運ばれた。

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 塩津の街には今でも往時の名残が残っていて、繁栄の跡を偲ぶことができる。

 また塩津湾に臨む塩津浜は「延喜式」にも北陸との経由地として記されており、海津、大浦と共に湖北3浦として知られている。

 塩津の街をさっと通り抜け、これから塩津街道で敦賀に向かう。

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