「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その47  新井城址跡までの道

 横須賀ストーリーの旅は、小網代の森を抜け三浦半島南端の油壺入江の道に入っている。

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 ここでは、イ;三浦一族滅亡の地の新井城址跡、ロ;頼朝が建てた三つの御所(桃の御所、桜の御所、椿の御所)、ハ;三浦半島最南端の島城ヶ島を見てまわり、横須賀ストーリーの旅の終りとしたい。

 では、まずイの三浦一族滅亡の地である新井城址跡を目指す。

 頼りになる標識等がさっぱりなく、迷いながら入江の道を歩き、油壺湾を見渡す場所に出た。

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 「かながわの景勝50選 油壺湾」と刻まれた石碑の向こうに絶景としか言い様のない油壺湾が広がる。

 全滅した三浦一族の血で湾一帯が血潮に染まり、まるで油を流したような状態になったので、この湾は油壺湾と言われるようになったとのことである。

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 その石碑の傍らに、「外海は荒れゐて 月の油壺」と刻まれた高さ2m以上もある大きな三角錐の形をした石碑が建っていた。

 三崎俳句会の俳人田辺大愚の作品と、ウラ面には記されていた。

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 新井城址跡が不明なまま半島の道を進んでいくと、左手前方が大きく開け、紺碧の海が出現した。

 大空にはトビが舞っていて、どうやらここが油壺荒井浜のようである。

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 崖道を降りて砂浜を歩き、岬の突端の岩場でしばらく遊んだ。

 いよいよここから、新井城跡攻めである。

 三浦一族滅亡の地である新井城は面積約128haの天嶮をそのまま利用した自然の要害で、相模湾に突出した小半島の地(新井城跡)は小網代湾と油壺湾に挟まれて三方が切り立った断崖となっていた。

 陸地に通ずる道は北方約3kmの大手の引橋で、この橋を切って落とすとどこからも攻め込まれないようになっていたという。

 現在の城跡には東大地震観測所、東大臨海実験所などの施設や、油壺マリンパークをはじめとしたマリンレジャー施設、旅館などが建ち並んでいて、そこに城があったことを思わせてくれるものは、空堀跡などごくわずかだという。

 その僅かな痕跡を探して進んでく。

 東大地震観測所の門の辺りでここの職員らしいオバさんに、観測事務所の辺りに城の本丸があったようだと聞き、急ぎ足で建物まで歩いた。

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 この建物の辺りに本丸があったようであるが、証拠となるものは何も残っていない。

 建物の玄関先で出会った東大地震観測所の研究助手ふうの男性に城跡のことを確かめると、本丸外に掘られていた空掘りの位置を教えてくれた。

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 どうにかやっとのことで、新井城址跡の証拠である空掘り跡に到達した。

 男性は植物関係の生態研究が専門のようで、「この空堀り跡には貴重な珍しい植物が生息しているので入らないで欲しい」と強く念を押した。

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 僕も親切をアダで返す気はさらさらなく、ここは歩かずに敷地外に出てから再度空堀りの撮影をして、新井城址跡を終えた。

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