越前と若狭の旅 その40 疋田集落を歩く

 塩津街道は近江と越前を結ぶ古くから使われてきた街道である。

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 塩津から敦賀に抜ける道には二つのルートがあり、古くは沓掛から深坂峠を越えて西近江路の追分宿に出る道(深坂古道)が使われていたが、険しい山道をさけて後年新道野峠をこえる道が開削された。

 現在の国道8号の原形で、この道は西近江路の疋田宿に出る。

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 この道を20分程走り、福井県に入った。

 そこから10分程走り、道路の分岐点となっている疋田という地点で、車を留めて後ろを振り返ってみた。

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 左側の道が今まで走ってきた塩津街道(国道8号)で、右側の道が京都まで続く西近江路である。

 この辺りを歩いて見ると、大きな絵看板が立っていた。

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 愛発(あらち)の歴史と書いてあった。

 敦賀南部の山間地に位置するこの愛発地区は、5世紀頃から敦賀と北陸を結ぶ街道とともに開けてきた。

 大陸文化は日本海に上陸し、愛発地区を通る街道を走り、琵琶湖~木津川という水運に乗り、最短距離で畿内に到達した。

 その文化の流れた道を最も有利に活用したのが継体天皇で、彼は大陸文化や自分の出身母体である越前や近江の勢力に支えられ、反対勢力を退けて大和に入り、大和政権の存続とその後の天皇中心の律令政治の確立に大いに貢献した。

 このような歴史の流れの後に、奈良時代には鈴鹿関や不破関と共に、近江と越前の境のこの地に、日本三関の一つである愛発関が設けられたのである。

 この愛発関についてはのちほど記ることにして、これから疋田集落を歩いていく。

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 現在は川幅が狭くなっているが、集落内には日本海を経由して運ばれた物資を敦賀港から京都へ送るために設けられた、疋田船川という運河の遺構が残っている。

 江戸時代後期の遺構である。

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 敦賀湾と琵琶湖を水路で結ぶ構想は古来からのものであり、この遠大な構想の一部を実現して、敦賀湾からこの地まで開通したのが、この疋田舟川である。

 舟川の川幅は9尺(約2.8m)、総延長は約6.5kmである。

 水量が少なくて舟底がつかえるため、川座に丸太を敷いて滑りやすくしてあるのが特徴で、道路に沿ったところでは縄で舟を引き、道から離れたところでは竿で押しあげて舟を利用したとのことである。

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 ここも疋田舟川の遺構の跡であろうか、母親と子どもの二人連れが水遊びに興じていた。

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