「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その35  「記念館三笠」を見学(k)

 横須賀市は三浦半島に位置する中核市で、市域の東側は東京湾(浦賀水道)、西側は相模湾に面する。

 東京湾唯一の自然島である猿島も行政区域に含まれ、行政区域内標高の最高点は三浦半島の最高峰となっている標高242m大楠山である。

 東京湾の入口に位置するため、江戸時代から国防の拠点とされ、大日本帝国海軍横須賀鎮守府を擁する軍港都市として栄えた。

 現在もアメリカ海軍第7艦隊横須賀海軍施設および海上自衛隊自衛艦隊・横須賀地方隊および陸上自衛隊武山駐屯地・久里浜駐屯地などの基地が置かれている。

画像


 横須賀では、まず「記念館三笠」を見学、ここで1時間半程過ごした。

 司馬遼太郎の「街道をゆく 三浦半島記」には、「三笠」とそれを取り巻く時代や人々が、十ページに渡って書かれている。

 それはそのまま、「坂の上の雲」の舞台ともなっている。

 日本の国が開国し世界へ向かって進んでいった、まるで少年の頃のような明治時代の話である。

画像


 上図は上甲板の主要図であるが、甲板上を一通り歩いてから、ビデオ室で「戦艦三笠と日露戦争の物語」に見入った。

 「三笠」は日清戦争後に、生物的とでもいうべき膨張主義を取ったロシアに対抗するための「六六艦隊計画」の一環として建造された艦で、奈良県にある三笠山(若草山)にちなんでこう命名された。

画像


 「三笠」は1902年に日本海軍に引き渡され、1903年から連合艦隊の旗艦となった。

 連合艦隊司令長官に東郷平八郎が就任したのは、日露開戦が間近となった1903年12月のことで、開戦後の1904年8月にロシアの旅順艦隊と対決した黄海海戦で初めて本格的な砲火の洗礼を受けた。

 「三笠」が最も輝き、日本の国の誰もが最も高揚感を覚えたのが1905年5月27日から28日にかけて行われた日本海海戦で、連合艦隊の旗艦である「三笠」はロシアバルチック艦隊との戦いにおいて、トーゴー・ターン(敵前大反転、T字戦法)という万人が度肝を抜くような作戦を成功させて、世界海戦史に残る大勝利の主役となり日本を勝利に導いた。

 海戦時に東郷は幕僚から装甲された司令塔へ移ることを進言されたが、戦況が見渡しやすい最上艦橋に留まった。

画像


 あとで最上艦橋に上って、トーゴー・ターン時の司令官達の配置を確認した。

 立ち位置は、①が東郷平八郎司令長官、②が参謀長の加藤友三郎少将、③が艦長の伊地知彦次郎大佐、④が参謀の秋山真之中佐であったといわれている。

 海戦中東郷はここに立ちっぱなしで、海戦が終わってかれが降りたあと、靴の裏の跡だけが白く残っていたという。

画像


 司令長官居室や司令長官公室も覗いて見たが、海戦関係の展示写真や展示資料が無ければ、普通の客船と区別がつかない。

 平成27年11月9日に「記念館三笠」に乗艦したという証拠の記念写真を撮ってから、トーゴー・ターンの栄光に輝くこの艦を降りた。

 日本海海戦後の「三笠」は不運続きで、日露戦争直後に弾火薬庫の爆発事故で佐世保港内に沈没着底した。

 1908年には復帰してシベリア出兵に参加したが、1921年に一等海防艦に類別変更され、やがて廃艦が決定しついには除籍となった。

 しかし、栄光の「三笠」を記念艦として保存しようという運動が起こり、現在位置にて記念艦となった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック