近江街道をゆく その4  横川に入っていく

 延暦寺駅から15分ほど歩いて東塔バス停に行った。

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 ほどなくバスはやって来て、このトンネルを潜って叡山三塔の中で一番遠くにある横川にまず向かった。

 横川は司馬遼太郎が何回も訪れた場所で、一番気になる場所で一番行きたかった所なので、心を弾ませながらバスに乗り憧れの横川へ行った。

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 ここから横川に入っていく。

 「司馬遼太郎の街道をゆく」では、彼は、横川は何回来ても取り付くしまがないと書いていた。

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 その静寂という雰囲気であふれた横川を歩いて行く。

 叡山は東塔、西塔、横川と三塔あり、それぞれの塔を開いた開祖が違っている。

 東塔は伝教大師最澄が延暦寺を最初に開いたところである。

 西塔は第2世天台座主寂光大師円澄によって開かれ、横川は第3世天台座主慈覚大師円仁によって開かれた。

 横川は慈覚大師円仁によって開かれ、源信、親鸞、日蓮、道元など、名僧たちが修行に入った地で、横川中堂を中心に聖域の雰囲気が漂っている。

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 しばらく歩いて、その横川中堂にたどり着いた。

 横川を開いた円仁(794年〜864年)は、入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人で、下野国の生まれで出自は壬生氏である。

 15歳のとき、唐より最澄が帰国して比叡山延暦寺を開いたと聞くとすぐに比叡山に向かい、最澄に師事する。

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 奈良仏教の反撃と真言密教の興隆という二重の障壁の中で天台宗の確立に立ち向かう師最澄に忠実に仕え、学問と修行に専念して師から深く愛された。

 最澄が止観(法華経の注釈書)を学ばせた弟子10人のうち、師の代講を任せられるようになったのは円仁ひとりであったという。

 何回も渡航を失敗し、最後の遣唐使として唐に留学するが、当時世界最大の都市にして最先端の文化の発信地でもあった長安へ行のは困難を極め、無事に日本へ帰る旅も同様に苦難の連続となった。

 この9年6ヶ月に及ぶ求法の旅の間、書き綴った日記が「入唐求法巡礼行記」で、これは日本人による最初の本格的旅行記である。

 巡礼行記によると、円仁は一日約40kmを徒歩で移動していたという。

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