越前と若狭の旅 その45 「熊川宿」を歩く

 鯖街道を走って行くと、「御食国(みけつくに)」という言葉に出会った。

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 御食国とは、古代から平安時代まで、皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料(穀類以外の副食物)を貢いだ国のことである。

 既に若狭に入っているが、ここ若狭は朝廷の食卓を支えた御食国の一つで、都とは古代から交流していた。

 近江から若狭に入っていくらも行かないで、旧鯖街道随一の宿場町「熊川宿」に到着した。

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 この宿は下ノ町、中ノ町、上ノ町の三つの町に分かれていて、下ノ町の外れに車を停め、午前中に既に30℃を軽く超えている、真夏炎天下の熊川宿を1時間程歩いた。

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 ここは下ノ町にある松木神社で、若狭の義民松木庄左衛門が祀られている神社である。

 熊川宿は近江との国境近くで小浜と今津のほぼ中間点に位置し、江戸時代を通して鯖街道随一の宿場町として繁栄したが、近代以降は鉄道の開通やモータリゼーションの影響で旧街道は衰退し、近年の戸数はピークである江戸時代中期の約半分になった。

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 そのため当地域は再開発されることなく古い町並みが残り、1996年に重要伝統的建造物群保存地区として選定された。

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 美術系大学生の合宿旅行で熊谷宿に来たのだろうか、真夏の炎天下にも関わらず宿のいたるところで、絵筆を手に熱心にキャンバスに向き合っている学生の姿に出会った。

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 この用水路は前川と言って、天正年間熊谷宿が設けられた頃に造られたもので、上ノ町と中ノ町の境を流れる河内川から取水し、下ノ町から鯖街道脇を流れる北川に放流している。

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 ここは熊川村役場を改修し鯖街道関係の資料などを展示した宿場館という資料館で、建物や大木で日陰が出来ることからか、4〜5人の男女の学生が腰を降ろし、キャンパスに向かっていた。

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 30分ほど歩いて暑さが我慢出来なくなったので、さんぽ道という喫茶店に入って、夏限定の葛まんじゅうを食べて小休止した。

 一息ついてから、河内川にかかる中条橋を渡り、上ノ町の一番外れにある熊川番所まで行った。

 番所は往来手形を確認すると共に人物改めや荷改め、物資の課税などを行う場所で、ここが若狭側の唯一の宿場町で近江国の国境に隣接していた為に、この番所の設置となった。

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 廃藩置県に先立ち1870年にはその役割が失われるが、現在は当時の場所に当時の姿のまま復元改修された。(番所建築としては当時から位置を変えずに残されている非常に珍しい例)

 宿の外れまで歩いたが、そこにも炎天下の中でひたすら絵筆を走らせる学生がいて、気になってカメラを望遠にして彼のキャンパスを覗いてみたが、写生は既に済んでいるらしくて、そこには別の景色が描かれていた。

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