大阪散歩 その18 竹内街道を歩く


 ここからは二上山、葛城山、金剛山と連なる金剛山地の絶景が見渡せる。

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 二上山の手前には百舌鳥古墳群と並んで堺を代表する古墳群である古市古墳群が存在しているが、ここは明日の午前中に散策予定である。

 百舌鳥古墳群や古市古墳群の中には、5世紀の河内王朝と言われる時代に、中国の宋に朝貢していた「倭の五王」ではないかとされる人たちの古墳が存在しており、今から彼らの古墳に辿り着くのが楽しみで、旅の前からこの日のことを考えると心がうきうきしていた。

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 二つの高層ビルの手前に見えるのがこれから行く予定の反正天皇陵で、この天皇は仁徳天皇の第三皇子で、「倭の五王」のうち珍に比定する説が有力視される天皇である。

 堺市役所展望ロビーを1周すると、ガイドはすぐには反正天皇陵に行かずに、竹内街道を歩き始めた。

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 茶色の道が竹内街道で、ガイドと僕は竹内街道の中の緑色で塗られた道を歩いて、西高野街道との合流地点まで行き、それから三国丘に入った。

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 横断歩道橋の下に「左反正天皇陵」と書いてあるが、この道を真っすぐに行く。

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 竹内街道は大阪と奈良を結ぶ日本最古の官道である。

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 後ろを振り返ると、独特な形をした堺市役所が道の遥か向こうに見えた。
 竹内街道の起源は推古天皇21年に整備された「大道」で、この道は難波と飛鳥の都を結んでいた。
 日本最古の官道となった竹内街道は、 飛鳥と大陸との行き来を担う「外交の道」、聖徳太子信仰を支える「信仰の道」、物資を運ぶ「経済の道」など時代に応じて役割を変えてきた。

 10分ほど歩いて、どうやら二つの街道の分岐点に到達した。

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 右の道が西高野街道、左の道が竹内街道である。

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 分岐点の右手前に、しっかりと両街道を示す石柱が立っていた。

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