近江街道をゆく その13 石積みの門前町「坂本」を散策 その5 徳川ゆかりの寺社を見学

 滋賀院の裏手に天海(慈眼大師)の廟所である慈眼堂がある。

 慈眼大師天海は徳川家康・秀忠・家光の時代に幕府の顧問として遇された大僧侶である。

 織田信長の叡山焼打ちにより全山焼土と化した比叡山の復古に尽力したことにより、家光の命で慈眼堂が建立された。

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 慈眼堂の境内に入ったが、雰囲気はこんな感じの場所である。

 ところで、信長の叡山焼き討ちについては諸説あるようである。

 この戦いで織田信長は僧侶、学僧、上人、児童の首をことごとく刎ねたと言われ、戦いでの死者は、「信長公記」では数千人、ルイス・フロイスの書簡では約1500人、「言継卿記」には3,000-4,000名と記されている。

 しかし近年の発掘調査から、根本中堂と大講堂を除く施設の多くは叡山焼打ち以前に廃絶していた可能性が指摘されていて、実際に全山焼き討ちのようなことが起こったか疑問視されているのである。

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 境内には天海によって高島市から当地に移された鵜川四十八体石仏のうちの13体の阿弥陀如来座像のほか、歴代天台座主の墓がある。

 他に桓武天皇の御骨塔、慈眼大師供養塔、後陽成天皇供養塔、後水尾天皇供養塔、徳川家康供養塔がある。

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 面白く思ったのは、正面の供養塔の裏に、一条天皇時代に栄華を誇った女流宮廷歌人達の供養塔があったことである。

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 右から紫式部供養塔、和泉式部供養塔、清少納言供養塔と仲良く並んで立っていた。

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 日吉大社を見て、鶴喜そばで昼食とし、慈眼堂の境内を散策した。

 次に、日吉東照宮に行った。

 日吉東照宮は坂本の比叡山東麓に鎮座する神社で、天海により1623年に創建されており、重要文化財の社殿は権現造の発祥とされ、関西の日光とも呼ばれている。

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 ここは唐門で重要文化財となっており、社殿本殿同様、漆塗り・極彩色の彫刻で装飾されている。

 比叡山延暦寺は平安時代初頭に最澄により誕生した。

 慈眼堂や日吉東照宮を見て歩いていると、江戸時代にも延暦寺は徳川家の手厚い加護のもとで順調な成長を果たしたようである。

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 日吉東照宮の境内からは坂本の街が広がり、その向こうに琵琶湖がくっきりと見えた。

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