近江街道をゆく その21  鉄砲の里国友を歩く

 寝物語の里から40分ほどかけて、長浜市南部の姉川沿いにある鉄砲の里で有名な国友町に入り、そこの資料館前に車を留めた。

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 国友鉄砲の里資料館は滋賀県長浜市にある博物館で、戦国時代から江戸時代まで鉄砲などの生産地として栄えた国友の歴史資料の保存と紹介を目的として1987年10月10日に開設された。
 さっそく館内に入った。

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 館内では集落内に残る国友鉄砲(火縄銃)を集めて大量展示をしている。
 種子島に伝来した鉄砲は、足利将軍の命により伝来の翌年に国友で作り始められた。
 ネジを切る方法に工夫を重ね、大量の鉄砲製造が可能になり、最盛期には国友には70軒の鍛冶屋と500人を超す職人がいた。
 鉄砲をいち早く取り入れた信長は、長篠の戦いや石山合戦などで効果的に鉄砲を使い、1573年に長浜城主となった秀吉は国友鉄砲鍛冶を手厚く保護した。

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 国友鍛冶が造った大筒は、関ヶ原合戦や大阪冬の陣で使用された。
 鉄砲を最大限に利用した信長・秀吉・家康は勝利者となり、日本の国の支配者となっていくのである。
 またここには、「東洋のエジソン」と称される国友一貫斎、遠州流茶人辻宗範ら国友の文化人に関する展示も行われていた。
 これから館内を出て、国友の街を散策する。

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 上図の黄星印の場所を見ながら、姉川の見えるところまで歩いて行く。

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 館を出るとすぐの道路手前に、司馬遼太郎著「街道をゆく 近江散歩」より引用した国友鉄砲鍛冶の成立期のことを書いた一文が刻まれた石碑が建っている。
 国友は司馬遼太郎の愛した町で、町のあちらこちらに、司馬の作品より引用した石碑が建っている。

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 しばらく歩くと、「星を見つめる少年」像が建っていた。
 この像は、自作の望遠鏡により日本で初めて宇宙を覗いたこの村の人である国友一貫斎を偲んで造られたもののようで、一貫斎少年の熱い思いが伝わってくる。

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 「星を見つめる少年」像の、道路を挟んで反対に建っているこの建物が、国友一貫斎の屋敷である。
 屋敷は国友村で年寄脇(年寄の次席)を勤める御用鉄砲鍛冶の家の一つ国友藤兵衛家として歴史を過ごし、一貫斎はここの9代目にあたる。

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 またしばらく歩き、国友町会館の前にある池の中に置かれている司馬遼太郎文学碑の前に立ち、そこに書かれている文章を読んでみた。
 「国友村は、湖の底のようにしずかな村だった。家並はさすがにりっぱで、どの家も伊吹山の霧で洗いつづけているように清らかである。」と書かれていた。

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 この後またしばらく歩いて、姉川の岸辺まで行った。
 上流方向を見ると、後で見に行こうと計画している、姉川の古戦場として有名な国友橋らしい橋が見えていた。
 ここ国友近辺は戦場ともなっているのである。

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