近江街道をゆく その23 姉川古戦場跡で

 小谷城跡から20分ほど走って、滋賀県北東部の旧浅井町(現長浜市)の「浅井三姉妹の郷」で昼食とした。

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 本駅は2016年3月にプレオープンし、僕がここに立ち寄ったのはこの期間で、2017年3月から正式に開業する予定となっていた。

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 駅の中で自然薯や地域の伝統料理中心のメニューで店を構えている自然薯茶屋「浅井家」で昼食となったが、食べたのは三姉妹御膳で値段は980円だった。
 ここ旧浅井町は戦国時代の武将の浅井長政が統治していた町で、浅井・朝倉連合軍が天下統一を目指す織田・徳川連合軍と激戦を繰り広げた「姉川の戦い」の舞台でもある。
 食事後、車で1~2分のところにある「姉川の戦い」の舞台となった古戦場跡に向かった。

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 この右一番下の黄星印の位置あたりが姉川古戦場跡である。

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 その古戦場跡には姉川古戦場と赤い生地で白抜きされた大きな幟旗が立っていて、数台車を留めることのできる駐車場の一角にレンタカーを停めた。

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 姉川に架かる橋の上に立って姉川の下流方向を眺めながら、午前中に立ち寄った国友の町が見えるかどうか眺めてみたが、鉄砲の里国友町らしい街並みはここからは見えなかった。
 この姉川を挟んで、「姉川の戦い」が行われた。

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 戦いの布陣は姉川を挟んで、浅井軍(八千)と朝倉軍(一万)で一万八千、織田軍(二万三千)と徳川軍(六千)で二万九千、併せて五万近い兵士がこの戦いに参戦したのである。
 戦いは午前5時に始まり午後2時に終わったとされている。
 合戦は西方に位置した朝倉・徳川軍の間で始まり、最初は朝倉軍が優勢だったが側面を攻撃され形勢は逆転した。
 この一帯の浅井・織田軍の戦闘も同様で、形勢は逆転し浅井軍も敗退した。
 ただ最近、姉川合戦は浅井軍の信長本陣への奇襲作戦であり、通常言われるような大規模なものではなかったという説も唱えられている。

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 橋の上から姉川の上流方向を眺めると、名峰伊吹山の山影がくっきりと見え、昔から変わらない風景の中で行われ今はその痕跡すらも残っていない「姉川の戦い」を感傷的に偲んだ。

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