東京散歩Ⅱ その4 「東京都谷中霊園案内図」を手に、谷中霊園を歩く 

 この後谷中霊園管理事務所に行き、「東京都谷中霊園案内図」をもらった。
この案内図にはNO1の天津乙女からNO75の鏑木清方まで75人の有名人の墓碑の位置が紹介されている。

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 徳川慶喜の墓を見たかったので、他の有名人の墓はさほど興味が湧かなかったが、案内図に従って、NO32ニコライ、NO52鳩山一郎、NO51横山大観、NO75鏑木清方、NO19長谷川一夫、NO14佐々木信綱などの墓を見て回った。
 まず、NO32ニコライからである。

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 ニコライは日本では神田駿河台にあるニコライ堂のニコライとして親しまれ、函館では新島襄から日本語を教わり、ニコライは新島に英語と世界情勢を教えた。
 次はNO52鳩山一郎の墓である。

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 鳩山家の墓が三つ並んで建っていて、鳩山一郎は中央の墓石に妻の薫と共に刻まれていた。
 鳩山は一郎は第52・53・54代内閣総理大臣で、1954年-1956年の首相在任中に保守合同を成し遂げて自由民主党の初代総裁となり、日本とソビエト連邦の国交回復を実現した。
 この墓のすぐ横にNO51横山大観の墓があった。

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 横山大観は、谷中に住んでいた岡倉天心の四天王の一人で、下村観山、木村武山、菱田春草とともに岡倉天心の新日本画の理想を具現した人である。
 大観の描いた画を思い浮かべながら、細長い敷地に建っている墓地を往来した。
 ここから少し歩いて、NO19長谷川一夫の墓に行った。

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 長谷川一夫は有名な映画俳優であるが、墓所は至って簡素であった。
 長谷川一夫は戦前から戦後にかけて二枚目の時代劇スターとして活躍し、同時代の剣戟俳優である阪東妻三郎、大河内傳次郎、嵐寛寿郎、片岡千恵蔵、市川右太衛門とともに「時代劇六大スタア」と呼ばれ、松竹時代劇の看板俳優となった。

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 次に、すぐ近くにある谷中・天王寺五重塔跡に行った。
 この五重塔は幸田露伴の小説「五重塔」のモデルにもなった天王寺の五重塔で、1908年に当時の東京市に寄贈されたもので東京の名所のひとつとして谷中霊園のシンボルになっていた。

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 ところが、1957年に心中放火事件が起きてシンボルは完全に焼失しその後立て直されることもなく、現在に至っている。
 この天王寺五重塔跡の裏手に、NO14佐々木信綱の墓があった。

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 佐々木家の墓が三つ並んで建っていて、その一番左の黒っぽい墓が佐々木信綱の墓である。
 墓には「佐々木信綱大人 佐々木雪子刀自  墓」と刻まれていた。

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 最後にNO75鏑木清方の墓を見たが、鏑木家の墓とだけあって清方の名はどこにもなかった。
 さらっと霊園を見て回り、午前11時50分には霊園を後にした。

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