東京散歩Ⅱ その11 「矢立初芭蕉像」や「やっちゃ場跡」 を見学

 このあと旧日光街道沿いに歩いて、「矢立初芭蕉像」や「やっちゃ場跡」を見てまわった。

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 まず最初は、「矢立初芭蕉像」である。

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 ここは千住宿奥の細道プチテラスで、テラス内には奥州や北陸など奥の細道へここから旅立った「松尾芭蕉の像」と、「日光道中・千住宿道標」、行灯をかたどった「日光街道・千住宿道標」、千住やっちゃばの小さなお宮にあった欅の木で作った「奥の細道入口、やっちゃ場看板」などがある。
 千住宿奥の細道と書いてある建物の右手前にある「矢立初芭蕉像」の前で、ここへ来たという証拠を残すために記念撮影した。
 千住宿奥の細道プチテラスから5分程歩くと「やっちゃ場跡」である。
 「やっちゃ場」とは青果市場のことで、せりのかけ声の「ヤッチャ~」からヤッチャバの名が起こったといわれている。
 「やっちゃ場」のあった通りを中程まで歩いていく。
 昔やっちゃ場の店を出していた家々の前には、扱い品と屋号を書いた木札が掲げられている。

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 ここは江戸時代後期から両替商を営み、明治時代後期から青果物問屋となった「谷清 谷塚屋」の跡である。

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 この近くに往時の「やっちゃ場」の街並みを再現した看板が建てられていたので掲載する。
 往時の「やっちゃ場」は昭和20年の空襲でほとんどの建物が消失して、焼け跡のなかで葛西屋の鉄筋造りの建物だけが原型を保ってポツンと建っていたという。
 「やっちゃ場」の起こりは、1576年に織田信長が安土城を築いたり、 小田原の北条市が勢いをふるっていた頃、自家産や近くの小川でとれた川魚などを道端に並べたのが市場開設のはじまりといわれ、江戸の初期から戦前にいたるまで「やっちゃ場」は庶民の台所として活気に満ち溢れていた。
 1594年に千住大橋が架けられると、野菜や川魚などの荷が増え始めたという。
 江戸廻りに位置するこの区域は徳川将軍家と深いつながり持っていて、将軍の狩場ともなっており、鷹狩や舟遊びなどで将軍が来訪した。
 また江戸城の生活を支える地域として、千住の「やっちゃ場」からは白魚が上納され、野菜などの生活物資が江戸城に供給されていたという。

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 その「やっちゃ場」の今の風景はこんなで、往時の栄華など通りのどこにもなく、木札や看板がなければその辺の普通の街である。

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