大阪散歩 その29 西行墓(西行墳)にて 

 西行堂でしばらく休んでから、西行墓(西行墳)を目指して石畳の急坂を登っていく。

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 実は去年の春桜の終わる頃に吉野山を旅したことがあり、奥千本にある西行庵まで行って西行を偲んでみたかったのだが、土日しかここまで行くバスが運行して無いということで、残念な思いをしたことがある。
 今回西行終焉の地である弘川寺を訪れる機会を得たことは千載一遇のチャンスで、心を弾ませながら西行堂を見学し、期待に胸を膨らませながら西行墓(西行墳)への道を歩いている。

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 そしてどうやら西行墓(西行墳)のある目的の場所へ到着したようである。

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 まず、近くにある似雲墳に行った。
 ここには似雲について先回書いたようなことが説明看板に書かれていたので、似雲墳については記載は省略する。

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 似雲墳の反対側に何かあるようなので、そちらを目指して歩いていく。

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 そして、ここが西行墓(西行墳)、念願の西行の墓に到着である。
 説明看板を読んでみたが、文治6年(1190年)2月16日、73歳で亡くなったことなどが記されていた。

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 しかし実際のところ、あの似雲が西行の墓だと推定してここを祀っていただけで、ここに西行が本当に葬られているかどうかは誰にもわからない。
 この円墳の周りを廻ってみる。

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 西行は平安末期の人で武士の出で北面の武士などもしていて、保元平治の乱や平家の盛衰などを目の前で見てきた人で、源頼朝とも鎌倉を旅した時に関係が出来、
 頼朝に宮中のしきたり等を教えたことが、司馬さんの「街道をゆく 三浦半島記」に記されている。
 円墳を一周して、再び似雲について考えている。

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 似雲にとって西行は、理想の人であり目指すべき目的となる人である。
 西行に近づくために、西行の全てを真似て生活し、「西行のそっくりさん」としての人生を自分の人生として選び、西行になりきり、西行の墓守をして一生を過ごした似雲のような人は、よく見ればどこにでもいる。
 「本物」と「そっくりさん」をどう捉えるかということだが、幸せという尺度で考えてみれば、似雲程幸せな人生を過ごした方はいないのではないかと思った。

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