大阪散歩 その33  紅葉渓庭園から天守へ

 次に、鶴の渓に隣接する和歌山城西之丸庭園(通称は紅葉渓庭園)に入った。

11bbee554.jpg

 紅葉渓庭園は紀州藩初代藩主徳川頼宣が和歌山城北西隅の西之丸に隠居所の御殿と共に築いた池泉回遊式庭園である。
 虎伏山麓の斜面という立地を生かして湧水を利用した2段の池と滝を設け、さらに内堀の一部をもう一つの池として庭園に取り込むことで広がりをもたせている。

2a783fb0c.jpg

 内堀に架かる御橋廊下が池に映ってもう一つの橋を造っており、紅葉の季節にはまだ早いが、池の周りには紅葉がいっぱいである。

3487ebbe0.jpg

 内堀の畔に池亭である鳶魚閣が見えるはずなのだが、深い樹々に遮られてここからは見えない。

472fd25e2.jpg

 その代わりに、樹々の間からは和歌山城天守閣が見えていて、これから天守閣へ向かうことにする。

5905e84ff.jpg

 赤く塗られた道を再び戻って、新裏坂を上って天守閣に到着した。

67e7fe3b8.jpg

 天守は大天守(A)と小天守(D)が連結式に建てられ、更に天守群と2棟の櫓群(B、C)が渡櫓(E)によって連ねられた連立式と呼ばれるものである。

7cac5c37b.jpg

 この状態を図示したのが上図である。
 なお、和歌山城は姫路城や松山城と並んで日本三大連立式平山城の一つに数えられている。
 さっそく天守に上がった。

895dec7ac.jpg

 天守からは紀ノ川が遠方に見えるが、この川は奈良県を流れている時は吉野川と呼ばれている川である。

9007c113e.jpg

 和歌山城天守は火災で2回も焼けているので今の天守は再現されたもの、初代の天守は豊臣秀長の普請奉行を勤めた藤堂高虎の手によるものである。
 その後秀長の部下の桑山氏が城主となり、関ヶ原の戦いの後に浅野幸長が領主となり連立式天守閣を建て、城の大規模な増築を行い城下町を整備した。
 1619年、徳川家康の十男の頼信が入国し御三家紀州藩が成立し、彼の時代にほぼ現在の和歌山城の姿となった。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント