能登(日本道)への道 その17  福良津に到着

 「花のミュージアムフローリイ」から10分ほど走って、旧福良灯台まで700mの案内標識の出ているところに来た。

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 古代には福浦津と呼ばれ、渤海国使の帰国船の造船,修理,係留,出航の基地として機能し、また渤海使節団の迎賓館である能登客員が置かれた場所までもうすぐである。

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 レンタカーは、福良港への細い道を降りていき、無事福良港を見下ろす高台に到着した。

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 この高台の横に福良津と書かれた石碑があり、そこの左横には「渤海使節来航之泊」という文字がしっかり刻んであった。
 渤海(698年〜926年)は、満洲から朝鮮半島北部、現ロシアの沿海地方にかけて存在した国家で、高句麗の末裔の大祚栄により建国され周囲との交易で栄えた国である。

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 唐からは「海東の盛国」と呼ばれていて、統一新羅の8倍の大きさがあり、かっての高句麗の4倍の領土を誇った。
 建国以後は唐や新羅の勢力を牽制する目的で日本への遣使を行い、日本側も渤海の使節を朝貢として扱って厚遇した。
 この渤海の日本への海上交通は「日本道」とよばれていた。

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 この「日本道」は原則として敦賀に入港することになっていて、日本はここに松原客館という迎賓館まで設けていたが、実際の彼らの旅は風まかせの船旅で、目的の敦賀に着くとは限らず、青森や秋田や佐渡や能登に漂着した。
 漂着した場所から、渤海の使節は陸路で都である奈良や京都まで行ったのである。

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 この旅随一の憧れの地である福良津に到着し、憧れの地から渤海使節団が到着したり出発したりした「日本道」の航路を日本海の中に描きながら、この福良津(福良港)をゆったりと散策している。

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