大阪散歩 その44  高野聖

 それではこれから、高野山の「精神」の中心である「奥の院」まで歩くことにする。

 ところで、司馬さんの「高野山みち」には、壇上伽藍も奥の院も登場しない。
 ここで司馬さんの興味の対象となったのは、高野聖と言われた人たちが住んだ「真別処」という場所と、異端と言われた日本密教の真言宗の一法流である「立川流」である。
 「空海の風景」を書いて、空海と真言宗については学者と言われる人たちの知識を遥かに凌いだ司馬さんにとって、高野山での興味は脇道の方になってしまったのだろうと推測する。
 立川流についてはここでは取り上げず、高野山をバックに大活躍した高野聖についてだけ触れておく。

 高野山にあっては江戸末期まで、学侶方、行人方、聖方の三つの機能があり、それぞれ仲が悪かった。
 学侶方は奈良・平安期の官僧およびその候補者といってよく、これに対し行人方は叡山などの僧兵にあたり、高野山に常住している。

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 これらに対し高野聖は回国が専門である。
 常時万余の聖が諸国を歩き村々に泊り、加持祈祷、念仏説法、諸国の話などをして、高野山の大師信仰は日本の隅々にまで伝わっていった。
 中世以降、高野聖という存在が無ければ、空海の教えが民衆に根づくことはなかったと司馬さんは書いている。

 この高野聖たちが高野山で住んだ場所は別所と呼ばれていたが、今はこの別所を引き継ぐ名称が1か所だけ残っていて、そこは「真別処」といわれる一角である。

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 司馬さんの興味の対象となった高野聖と言われた人たちが住んだ場所の一つである「真別処」という場所へは、黄線の道を⇓の方角に向かって歩いていく。

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 司馬さんの「街道をゆく 高野山みち」で司馬さんが歩いた道を、ほんの少しだけのぞき見してみた。
 その道は宿泊した密厳院からは目と鼻の先で、恵光院と熊谷寺の間にある。

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 その道をゆくと、「円通寺は修行道場につき拝観できません」という看板が道の右脇に建ててあった。
 司馬さんの道を行くことはここで終了し、ここから引き返した。

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