大阪散歩 その48 宿院散策  

 バスで橋本駅まで行き、そこから南海鉄道高野線に乗って難波までいき、そこから電車を乗り継いで、今夜泊まるコンフォートホテル堺に午後3時頃に到着した。
 2時間ほどホテルのベッドで寝てから風呂に入って、それからホテル近くの前に食べたことのある中華食堂で、再び前と同じ焼肉定食を食べ、生ビールも飲んだ。
 料金は1200円程度だった。
 この夜は小刻みに眠ったが、朝起きての調子は悪くなかった。
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 ホテルでおにぎりでの朝食を済ませると、この「司馬遼太郎への旅」の最後の日の日程が待っている。
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 この日は、司馬さんの「街道をゆく 堺・紀州街道」の中から、ホテルから徒歩で行ける場所をピックアップして電車に乗る時間まで過ごすことにした。
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 堺駅南口から、南国ムード漂う大通りを宿院方向に向かって歩いていく。
 これから、宿院にある赤字アの与謝野晶子生家跡と赤字イの千利休屋敷跡を見るのである。
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 15分ほど歩いて、与謝野晶子生家跡に到着した。
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 与謝野晶子は1878年に、堺県甲斐町で和菓子屋を営む鳳(ほう)宗七の三女として生まれた。
 幼いころは漢学塾で朱子学や儒学を学び、堺女学校に入学すると家の和菓子屋の手伝いをしながら、小説を読みまくる生活をおくった。
 樋口一葉や尾崎紅葉の小説、紫式部の源氏物語を愛読し、与謝野鉄幹のもとへ上京するまでの青春時代を堺の街ですごした。
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 与謝野晶子を語れば半日では済まないので、次に赤字イの千利休屋敷跡まで歩いて、この屋敷跡を見学した。
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 千利休は1522年に堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれた。
 17歳の時、北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹に師事し、わび茶を大成させた日本史上の超有名人である。
 屋敷跡には椿の井戸が残っており、椿の炭を底に沈めていたと伝えられている。
 また、井戸の上にある井戸屋形は、利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものである。
 このあと、晶子と利休を展示した「さかい利晶の杜」を30分ほど見学したが、そのことはここでは省略する。

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