東京散歩Ⅱ その25 江戸東京博物館を見学 その1

 午前10時を10分程過ぎて、今日の日程の中で一番楽しみにしていた江戸東京博物館に入った。
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  江戸東京博物館は墨田区横網にある東京都立の博物館で、両国国技館に隣接している。
 失われていく江戸、東京の歴史と文化に関わる資料を収集、保存、展示することを目的に、江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館として1993年3月28日に開館した。
 建物は地上7階、地下1階の鉄骨造構造で、地上部分の高さは約62m、江戸城の天守閣とほぼ同じ高さである。
建物の6階と5階が常設展示室となっていて、この二つのフロアは吹き抜けの大スペースとなっている。
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 この日本橋を渡って江戸ゾーンの展示スペースに入って来た。
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 江戸時代の街並みが縮小されて模型となって展示されているが、これは日本橋と橋のタモトの町の賑わう様子を模型にしたものである。
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 諸大名が将軍に拝謁する大広間、それに続く松の廊下、勅使との対面などに用いられた白書院、大広間に付随する能舞台が復元されていたが、これは松の廊下の復元部分である。
 この廊下で、元禄14年3月14日(1701年4月21日)に、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかる事件が起きたのである。
 展示の中では、江戸の町全体の中で武家地、町人地、寺社地の占めるスペースを展示したパネルが面白かった。
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 このパネルは江戸中期頃の武家地を示したもので、オレンジ部分が幕府御用地、黄色部分が大名藩邸、薄い黄色部分が旗本・御家人などの土地である。
 ほぼ武家地に見える。
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 ネットから引用した江戸の住区別面積の変遷を見ると、江戸時代中期頃の武家地は総面積の66%程、町人地は13%程、寺社地は15%程である。
 やはり、江戸の町は武家の町である。
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 このパネルは江戸中期頃の町人地を示したもので、町人地はほぼ武家地に挟まれて、今の浅草から新橋あたりまでの間に南北に細長く連なっているだけで、墨田川を超えて東に居住している町人は富岡八幡宮の周辺の深川・木場が目立つ程度である。
 なお、最盛期の江戸の人口がどのくらいであったかネットで調べてみたが、町方の人口が50万~60万程とほぼ確定しているのに対して、武家関係の人口を把握した資料等が無いようで、江戸の最盛期人口については100万から200万の範囲で諸説が飛び交っている。
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 男女比については、江戸時代初期は男性が女性の二倍程だったが、幕末の頃には男女比率は同数程度となっている。



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