東京散歩Ⅱ その26 江戸東京博物館を見学 その2

 江戸時代の町人の生活を特徴づけているものに長屋がある。
 50万~60万程の江戸の庶民(町人)は、江戸全体の13%程の土地にひしめき合って暮らし、その7割以上の人々が長屋で暮らしていた。
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 長屋は通りに面した表店とその奥の路地裏にある裏長屋で構成されており、表店は地主か家主が営む店か住まいで、人に店舗として貸している場合もあった。
 裏長屋は6畳ほどの広さがあり、1畳半程の広さの土間にかまどと流しがあり、畳の間は4畳半程の広さだった。
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 時代劇や落語で有名な裏長屋に住んでいるのはほとんどが地方からの出身者で、職業では魚売りの商人や大工、左官などの職人が多かった。
 火事と喧嘩は江戸の華という言葉があるが、江戸の町は何回も大火に見舞われていて、その中でも10万人以上の死者を出し、江戸を瀕死の状態に陥れたのが明暦の大火だった。
 この明暦の大火により従来の方法では大火に対処できないことが明らかになったため、以後の江戸幕府は消防制度の確立に力を注いだ。
 江戸市中の再建では、大名屋敷・旗本屋敷や寺社の一部を郊外に移転させ、延焼を防ぐための火除地を確保した。
 また、瓦葺屋根や土蔵造りなどの耐火建築を奨励し、火事に強い町づくりを目指し、新たな消防組織である方角火消・定火消を編成したが町火消はまだなかった。
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 この図は第8代将軍徳川吉宗の時代、大岡忠相により制度化された町人による町火消制度を示したもので、火消しの殆どが身体能力の高い鳶職で構成されていた。
 1720年に地域割りを修正し、約20町ごとを1組とし、隅田川から西を担当するいろは組48組と、東の本所・深川を担当する16組の町火消が設けられた。
 江戸の町は、豊臣秀吉の指示でここを拠点とした徳川家康の手によって拡張され、その子孫によって整備された。
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 神田山を切り崩し、日比谷入江を埋め立てて町の規模を大きく拡張した。
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 また、利根川の流れを東に変え、江戸を水の都に発展させた。
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さらに、溜池や神田上水や玉川上水を整備し、生活用水の確保を実現した。

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