東京散歩Ⅱ その29 勝海舟生誕地まで歩く

 江戸東京博物館を出て、隣接施設で現在日本中で大人気となっている大相撲の本拠地である両国国技館に行った。
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 両国国技館は墨田区横網一丁目にある大相撲の興行のための施設であるが、、ボクシングやプロレスなどの格闘技の試合や年に数回程度のコンサート・ライブの会場として使われることもある。
 珍しい催しでは、毎年2月の第3または第4日曜日に、全国各地より一般公募される5000人の合唱団員を集めて行われる「国技館5000人の第九コンサート」がある。
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 今日は何のイベントの行われていないようで、国技館の扉は固く締まったままだったので、ここの絵をバックに記念撮影して国技館をあとにした。
 現在は相撲の街となっている両国だが、以前は日本史に残る文化人や著名人が住んでいた街でもあり、これからそういう方々を訪ねて両国散歩を試みる。
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 この黄枠の場所が先程まで歩いた江戸東京博物館や両国国技館、これから歩いて行く勝海舟生誕地や吉良邸跡や芥川龍之介文学碑などである。
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 これから歩く場所を更に拡大して示すと、この萌黄色の線に沿って歩き、萌黄色の矢印で示した勝海舟生誕地、吉良邸跡、芥川龍之介文学碑を順に見ていく。
 猛暑の午後となっていたので、まずお相撲さん並みの体格の方用の商品を取り扱っているキングサイズライオン堂へ行き、相撲図柄の大きなハンカチを買って、それで吹き出す汗をしっかり拭き取りながら、相撲の街を歩いていく。
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 歩いているうちに、小林一茶居住の地という案内看板に偶然出会った。
 松尾芭蕉が本所・深川に住んでいたことは知っていたが、小林一茶まで住んでいたとはまったく知らなかった。
 また本来のコース上に戻って、両国公園内の勝海舟生誕地を目指した。
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 そして、生誕地に到着である。
 勝海舟は現在は両国公園となっている父の実家である男谷家のあったこの場所で誕生し、この周辺で少年期を過ごした。 石碑や休憩のためのベンチなどが置いてある一角に、勝海舟幕末絵巻という彼の生涯の概要を絵巻物にした展示パネルがあったので読んでみた。
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 貧しい幕臣の家に生まれながら、黒船来航に際して提出した意見書が目にとまり勝海舟は世に出たのである。
 勝の生涯を要約して記すとこうなる。
 10代の頃から島田虎之助に入門し剣術・禅を学び直心影流剣術の免許皆伝となり、16歳で家督を継ぎ、1845年から永井青崖に蘭学を学び、赤坂田町に私塾「氷解塾」を開く。
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 万延元年(1860年)に咸臨丸で渡米し、帰国後に軍艦奉行並となり神戸海軍操練所を開設、戊辰戦争時には幕府軍の軍事総裁となった。
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 この戦争で徹底抗戦を主張する小栗忠順を退け、話し合いの中で官軍の西郷隆盛と互角に渡り合って、早期停戦と江戸城無血開城を主張実現した。
 勝海舟は江戸幕府の存続と徳川慶喜の助命のためにこの会議に臨んだが、交渉決裂の際は住民を避難させて江戸を焼き払う焦土作戦や慶喜の英国亡命の準備もしており、和戦両方の対応を準備していたという。
 大変な時代に国の舵取りを担った勝海舟だが、日本史の中では彼の存在は高く評価されている。

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