能登(日本道)への道 その34 昼食後、石川県輪島漆芸美術館へ

 不完全燃焼のまま輪島市街に戻り、やぶ新橋店で昼食とした。
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 この店は輪島では有名で、蕎麦のほかに海鮮丼などもメニューに並び、いつも大賑わいとなっているとのこと。
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 今日は1300円の天ざるを美味しくいただいた。
 午後いっぱいは大沢集落で過ごす予定だったので、急きょ予定を変更し輪島塗関連施設を回ってみようと、まず石川県輪島漆芸美術館に行った。
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 朝ドラでは塗師屋の世界は理解できたが、漠然としか解らなかった漆(ウルシ)の世界がここで少しは理解できた。
 近年の考古学調査によって、日本人は約7千年以上も前の縄文時代から漆の樹液を使っていたことが明らかになった。
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 現在確認されている最古の漆芸品は、縄文前期の約6800年前に能登半島の三引遺跡(みびきいせき;石川県七尾市)から出土した漆塗櫛である。
 この時代の櫛は、呪術者(シャーマン)の頭部を飾る神聖な道具であり、多くは赤色漆塗りとなっていた。
 赤色は再生を象徴する色で、漆は赤色の顔料(ベンガラや朱砂)を混ぜることでより光沢と深みを増した麗しい赤色に変化する。
 このようにして漆は、この時代の呪具を飾る必須の塗料となった。
 こうして7000年の間、日本人や日本人の先祖は、食器や装身具、弓矢や甲冑などの武具、家具や建物までもと、身の回りのあらゆるものに漆を塗って生活してきた。
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 漆木は人里に近い里山に植林され大切に育てられ、十数年かけて漆木が十分に成長したら、漆掻き職人は5日ごとに山へ通い、鎌で幹に傷をつけてにじみ出る漆液を集める。
 1本の漆木からひと夏で採取される漆はわずか200グラム程度で、これはお椀をようやく10個ほど作ることができる量に相当する。
 漆を採取した木は枯れてしまうので、秋には根元から伐り倒して新芽を再び育てることを繰り返す。
 漆はとっても強くて丈夫で、いったん固まった漆を溶かす方法はない。
 毎日暑い味噌汁を注いでもその熱や塩分にビクともしないし、酸やアルカリにもとても強く、金さえ溶かす王水という強酸にも耐えるのである。
 漆の世界をほんの少し垣間見たところで、再度予定を変えて白米千枚田に向かった

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