近江街道をゆく その48 旅の終わり  

 「近江街道の旅」は今回が最終である。

 ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地を訪ね、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着き、琵琶湖の周囲をほぼ一周することができたので、「近江街道の旅」は収穫の大きい旅となった。
 予定では天智天皇陵や草津宿本陣など草津を見るつもりだったが、折からの発達した低気圧の影響で、午後から本格的な豪雨に見舞われたので、残っていた計画を中止した。
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 瀬田唐橋をちらっと見てから、野州市近くの小篠原食堂で895円の定食を食べて昼食とした。
 昼食後はますます雨が降り続く中、野洲市にある銅鐸博物館に行って展示物をさらっと見学して、午後の日程を終了した。
 この博物館は、日本古代史の謎とされる銅鐸の解明に迫る日本初の歴史民俗博物館である。
 野洲市で出土した大岩山銅鐸の展示を中心に、銅鐸の誕生から移り変わり、その鋳造方法などを紹介している。
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 銅鐸は弥生時代に製造された釣鐘型の青銅器で、紀元前2世紀から2世紀の約400年間にわたって製作され使用された。
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 使用目的は、当初は家畜の首などに付けて鈴のように使ったり、祭祀などで音を出して聞いたりしていたらしいが、その後は祭祀の時などに地面か祭殿の床に置かれて、直接信仰の対象としていたようである。
 弥生時代の集落の人々は、農作物の豊作や集落の人々の繁栄などを願って、1年の時々にこの銅鐸を取り出し、これを神として祭祀を行ったのである。
 ここを30分ほど見学して、ホテル近くのイーオンで土産を1万ほど購入して、宅配で自宅に送付した。
 夕食はイーオンで刺身や柿の葉寿司を購入して、ホテルに持ち帰って最後の晩餐とした。
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 ここは5泊した近江八幡ステーションホテルのフロントである。
 ここから近江路の様々な場所に出かけ、様々な感動に出会った。
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 この絵は食堂に飾ってあった、このホテルのオーナー夫人の描かれた絵とのこと。
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 食卓から見ると、正面の壁にこのように飾られている。
 そして、この食事が毎日変えずに食べた朝食セットである。
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 この食事を思い出す度に、これからは「近江街道の旅」を思い出すことになるだろう。

 旅で出会った全てのものと、旅で出会った全ての人に、この場を借りて感謝したい。
 감사합니다(カムサハムニダ);ありがとうございました。

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