東京散歩Ⅱ その35 深川散策 その3  採茶庵跡まで歩く

 採茶庵(さいとあん)までのルートを示すが、空色で示した道を歩いた。
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 再び萬年橋を渡り、清澄公園(紀伊國屋文左衛門の屋敷があり、その後岩崎弥太郎が住んでいた跡地を整理して造られた)の横を抜け、仙台堀川に架かる清川橋を渡った。
 仙台堀川は江東区を流れる河川で、旧中川と隅田川を結ぶ運河のひとつである。
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 名は北岸にあった仙台藩邸の蔵屋敷に米などの特産物を運び入れたことに由来し、仙台堀とも呼ばれていた。
 以前は砂町運河(小名木川~横十間川間)、十間川(横十間川~大横川間)、仙台堀川(大横川~隅田川間)と分けられていたが、1965年の河川法改正により一つにまとめられたという。
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 この仙台堀川の左岸を歩いて、清澄橋まで来た。
 この橋の付近から、仙台堀川左岸200m程に芭蕉俳句の道が設置されていて、おくのほそ道で詠んだ18句を書いた立て札が、スタートの採茶庵から続いている。
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 蝉時雨の降り注ぐ夏の午前中であるが、芭蕉のおくのほそ道の旅を思いながら、到達地点の大垣の句から入っていった。
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 桜の花咲くころの元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川にあった芭蕉の草庵である採荼庵を出発、この大垣には旧暦の8月21日に到達している。
 全行程2400キロメートル、日数約150日間のおくのほそ道の旅を、200m程の道で味わうことはとうてい無理なことであるが、ここを歩いていると旅に出た気分だけはしてくる。
 鶴賀、小松、親不知、象潟などで読まれた句を味わいながら、「五月雨を集めてはやし最上川」のあとに、この有名な句に向き合った。
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 蝉がひっきりなしに鳴いている今の状況に、この句は最も相応しく、最もこの短い散歩道の中で感銘を受けた句となった。
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 最後に、旅立ちの3月27日に千住で詠まれ、芭蕉矢立の句となったこの句である。
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 この句を詠んだ千住は、3日前の7月27日に既に訪れている。
 深川の住まいで詠まれた句も散歩道の最後に書かれていたが、その句の紹介は省略する。
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 芭蕉俳句の道を歩ききった場所に、芭蕉の門人、杉山杉風(さんぷう)の別宅であった採茶庵跡があった。
 杉風は日本橋で幕府御用の魚問屋を営み、豊かな経済力で芭蕉の生活を支えていたのである。
 芭蕉は旅に出る前に芭蕉庵を手放して、門人杉風の別宅であった採荼庵を住まいとして使っていて、この場所からおくのほそ道の旅に出た。
 どうやら目的地の採茶庵にゴールできた。

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