東京散歩Ⅱ その43 神田駿河台を散策

 午前中時間が残ったので、東京物理学校跡、東京法学院跡、日経新聞社跡、岡書院跡など、司馬遼太郎の「神田界隈」で書かれていた場所を探したが、痕跡すら見当たらなかった。
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 僕の歩いている東京は、司馬遼太郎がここを歩いた頃からもう25年程も経過している。
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 現在地の神田小川町から、学生の街となっている神田駿河台の方角へ向かって、再び歩みを進めた。
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 信号の向こうに駿河台の白抜き文字で書かれた青地の街区表示柱が見えているが、どうやら駿河台に到着である。
 駿河台の名は、徳川家康の死後に江戸幕府が駿府の役人をここに住まわせた事が地名の由来となっている。
 千代田区・神田地域の北に位置し、文京区(本郷・湯島)との区境にあたり、「駿台(すんだい)」とも略称され、有名な駿台予備校がこの地区にある。
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 もともと駿河台は本郷台地と連続していたが、二代将軍・徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が1620年に仙台堀(神田川)の開削を行って二つの地域は分離したが、本郷も駿河台も「ものを学ぶ」ということを中心に成り立っていることに変りはない。
  駿河台には日本大学、明治大学、中央大学などのマンモス大学が建ち並び、1960年代には御茶ノ水駅から本郷通り沿い周辺を中心として学生相手の店が多くなり始めた事もあって、日本のカルチェ・ラタンと呼ばれていた。
 今もこの街は、学生街であることにかわりない。
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 この学生街を歩いていくうちに、有名な方の生家跡を発見した。
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 有名人は小栗上野介である。
 書かれている内容を読むと、「ここに生まれ育った上野介は幕末の外交・財政政策をリードし、横須賀に大造船所を建設して我が国の造船業が近代化する道を開いた。」とある。
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 更に歩いているうちに、もっと有名な方の屋敷跡を発見した。
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 有名人は天下のご意見番として名高い大久保彦左衛門で、この方は紹介の必要もない。
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 学生街散策途中で、この近くに店を構えている銀座ライオンレオで、ハンバーグセット(1000円)の昼食を食べた。

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