東京散歩Ⅱ その43 神田駿河台を散策

 午前中時間が残ったので、東京物理学校跡、東京法学院跡、日経新聞社跡、岡書院跡など、司馬遼太郎の「神田界隈」で書かれていた場所を探したが、痕跡すら見当たらなかった。  僕の歩いている東京は、司馬遼太郎がここを歩いた頃からもう25年程も経過している。  現在地の神田小川町から、学生の街となっている神田駿河台の方角へ向かって…
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東京散歩Ⅱ その42 神田明神にて

 湯島聖堂を見終え、神田明神に向かった。  神田明神の正式名称は神田神社で、東京の中心の神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地魚市場の108町会の総氏神様である。  この、神田明神鳥居をくぐり抜けて神社内に入っていく。  神社社伝によると、730年に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により武…
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開高健と生きる その3 朝露の一滴にも

朝露の一滴にも天と地が映っている。            by 開高健                   一滴の水滴にも天と地が含まれている            by ブレーク 水道の一滴にも微量の塩素が含まれている。            by ジュンチャン
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東京散歩Ⅱ その41 大成殿を見学

 斯文会館に入ってみた。  ここでは生涯学習が行われていて、斯文会文化講座という名で様々な講座が開講されており、大勢の一般市民の方々がそれぞれの申し込んだ講座を受講していた。  講座の内容を見ると、中国の古典と漢詩の講座が目立った。  僕も漢詩は好きで、暇な折は気に入った漢詩を読んでは中国の古代に思いを馳せたりすることもあるの…
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東京散歩Ⅱ その40 聖橋から湯島聖堂へ

 聖橋の上から秋葉原の方角を眺めているが、橋の下を流れている川が神田川である。  神田川は東京都を流れる一級河川で荒川水系の支流である。  この川を有名にしたのは、フォークグループかぐや姫の曲である神田川で、僕もこの川を眺めているとこの歌を口ずさみたくなる。  神田川の元の名前は平川といい、現在の日本橋川の分流点付近から南流…
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香炉峰の雪(例の清少納言の・・・) 白居易

日高睡足猶慵起 小閣重衾不怕寒 遺愛寺鐘欹枕聽 香爐峰雪撥簾看 匡廬便是逃名地 司馬仍爲送老官 心泰身寧是歸處 故郷何獨在長安 (読み) 日高く睡り足るも、なお起くるにものうし 小閣にしとねを重ねて寒さをおそれず 遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き 香爐峰の雪は簾をかかげてみる 匡廬(きょうろ)はすなわちこれ名を逃るる…
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開高健と生きる その2 遠い道をゆっくりと

遠い道をゆっくりと けれど休まずに歩いていく人がある。                      by 開高健 大地を一歩一歩踏みつけて、手を振って、いい気分で、進まねばならぬ。急がずに、休まずに。                      by 志賀直哉 釣り師を幾つになってもやろうと思ったら 急がず休ま…
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東京散歩Ⅱ その39 外苑ホテルから神田へ

 これで隅田川の東側とはお別れで、明日からは東京の中心地である神田や赤坂の話となる。  門前仲町から都営大江戸線で両国駅まで行き、JR両国駅から総武線で秋葉原に出て、秋葉原からは中央線に乗って信濃町駅に降りた。  ここから今日から4泊する外苑ホテルに向かったが、持参の地図があまり役に立たず、信濃町駅から歩いて10分ほどのホテルなのに…
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東京散歩Ⅱ その38 富岡八幡宮を散策

 深川不動堂を出て、地続きで隣に隣接している富岡八幡宮に向かった。  深川の町の形成と発展は、この地に富岡八幡宮が創建されたことによる。  深川は隅田川の河口にできた低い州に過ぎず人の住める場所ではなかったが、徳川家光の時代に富岡八幡宮が建てられ、その門前に茶屋が出来、色町が建ち並び人々が集まってきて、深川の市街化が始まったのである…
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朱熹(朱子先生)   偶成(ぐうせい)

   少年易老学難成  一寸光陰不可軽  未覚池塘春草夢  階前梧葉已秋声  少年、老い易く、学成り難し。一寸の光陰、軽んずべからず。  未だ覚めず池塘春草(ちとうしゅんそう)の夢。  階前(かいぜん)の梧葉(ごよう)、已(すで)に秋声。    詩に云う。若い時はうつろいやすいもので、あっという間に…
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東京散歩Ⅱ その37 深川丼を食べて深川不動堂へ

 深川江戸資料館を出て、清澄白川駅から都営大江戸線に乗り、一駅先の門前中町で降車した。  これから黄矢印の深川不動堂、富岡八幡宮などを見て、最後に伊能忠敬住居跡を訪れようと計画していた。  その前に昼飯を食べようと、深川名物の深川丼を食べられる店がないか、門前仲町を20分ほど歩き回った。  深川不動堂の門前に、六衛門と…
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東京散歩Ⅱ その36 清澄庭園と深川江戸資料館を見学

 採茶庵跡の次に、元禄期の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷があり、その後三菱財閥創業者の岩崎弥太郎の庭園となり、それから三菱社長の座を継いだ岩崎弥之助の手で隅田川の水を取り込んだ回遊式林泉庭園となった清澄庭園を訪れた。  日本のお金持ちと言われた人たちが住み暮らしていた広大な場所を、蝉がガンガン鳴く炎暑の中、名水入りのペットボトルだけを頼…
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東京散歩Ⅱ その35 深川散策 その3  採茶庵跡まで歩く

 採茶庵(さいとあん)までのルートを示すが、空色で示した道を歩いた。  再び萬年橋を渡り、清澄公園(紀伊國屋文左衛門の屋敷があり、その後岩崎弥太郎が住んでいた跡地を整理して造られた)の横を抜け、仙台堀川に架かる清川橋を渡った。  仙台堀川は江東区を流れる河川で、旧中川と隅田川を結ぶ運河のひとつである。  名は北岸にあっ…
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「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎の伝えたかったこと

 1996年に亡くなった司馬遼太郎さんが21世紀に生きる子供たちへ向けて書いた文章です。  子供向けの文章ですが、子供たちにどうあってほしいか、どのような社会であってほしいかを、考えさせられます。   「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎  私は歴史小説を書いてきた。  もともと歴史が好きなので…
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能登(日本道)への道 その35  白米千枚田を歩く

 昨日は千枚田を上から眺めただけだったが、今日は実際に千枚田の中を歩いてみる。  忙しい旅をしていると、絶景という表面の美しさだけを見るだけで終わって、本来もっと楽しく千枚田の実際の姿を味わう機会を失ってしまうので、いくらでも時間が出来た今日の午後は千枚田の中身を知る絶好のチャンスである。  まず、千枚田を下って海のすぐ…
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能登(日本道)への道 その34 昼食後、石川県輪島漆芸美術館へ

 不完全燃焼のまま輪島市街に戻り、やぶ新橋店で昼食とした。  この店は輪島では有名で、蕎麦のほかに海鮮丼などもメニューに並び、いつも大賑わいとなっているとのこと。  今日は1300円の天ざるを美味しくいただいた。  午後いっぱいは大沢集落で過ごす予定だったので、急きょ予定を変更し輪島塗関連施設を回ってみようと、まず石川…
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クリスマスジョーク その7 「奥手の息子」

25才になった、奥手の息子のことで両親が話し合っていた。 「あの子も、もういい年だからね。あのこと、あなたから説明してやって」 「そういうことは母親の役目じゃないかね?」 「とんでもない、ああいったことはやはり父親の口から説明していただかないと。 結婚も間近だし、手遅れにならないうちにね」 仕方なく、父親は息子の部屋に出向き、…
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釣り師ジュンチャンと一緒に日本一周の旅に出よう 今日は広島県(^^)

 広島県といえば、原爆ドームがまず思い浮かび、続いて宮島、尾道、牡蠣などが思い浮かびます。  広島はやはり、原爆被災地のイメージが強く、ここから毎年、世界平和のメッセージが繰り返されますが、なかなかみんなが争いなく、仲良く暮らせる世の中にはなりませんね。  釣り師は、広島県では尾道に特に惹かれます。 尾道は「花の命は短く…
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東京散歩Ⅱ その34 深川散策 その2  芭蕉旧跡を散策

 萬年橋を渡ってすぐのところにある芭蕉稲荷のある場所に行った。  稲荷のあるあたりに深川芭蕉庵があったと推定されている場所である。  芭蕉は杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝八年から元禄七年大阪で病没するまでここを本拠とした。 「古池や蛙飛びこむ水の音」などの名句はここで生まれ、またここより全国の旅に出て、…
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東京散歩Ⅱ その33 深川散策 その1 清洲橋近辺

 「石の粉」の御利益か、この夜は山野を歩いて小判を見つけた夢を見たことをおぼろげに覚えている。  翌日の朝食は、ホテルでパンとコーヒーとゆで玉子とサラダという簡素な食事で済ませた。  7月30日(土)だが、一日かけて深川を散策する日程を作成した。  実際はこんなに巡ることはできず、行程の中心は松尾芭蕉と伊能忠敬の旧居などを見…
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クリスマスジョーク その6 「クリスマス・キャロル」

3人の男は自動車事故でクリスマス・イヴに死んだ。3人は、気がつくと 天国に入る門のところにいた。聖ペテロは、こんな特別な日に天国に入る には、何かちょっと特別なテストをしたいと考えた。それで、聖ペテロは、 天国に入るためには何かクリスマスにちなんだものを見せなくてはならな いと3人に告げた。 最初の男はポケットを探って、家のも…
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クリスマスジョーク その5 「サンタにお願い」

小2の娘が、「サンタさんにお願いするプレゼントを決めた」と言って おもちゃのチラシを持ってきた。 見ると、1万5千円! 「いいのを選んだでしょ? 家では、こんな高いのん買うのは大変やから サンタさんに頼んどくねん。いい考えでしょ?」 「・・・そやね・・・」
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能登(日本道)への道 その33 真垣の里への旅 

 これから、津村希一家が住んだ桶作家のある輪島市の大沢地区に向かう。  出発はレンタカーの停車している住吉神社で、目的地は真垣の里として有名な大沢地区の中ほどにある田中屋旅館である。  ところで、間垣とは長さ約4メートル程のニガ竹という細い竹隙間なく並べてつくった垣根のことで、日本海から吹き付ける冬の強い風から家屋を守る…
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能登(日本道)への道 その32 みなと橋から住吉神社、鳳至上町通りへ 

 朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りの続きである。  ロケ地巡りは、みなと橋から住吉神社、そして黄で塗られた鳳至上町通りへと続く。  ここはみなと橋で、ここで高校時代の紺谷圭太が津村希に告白した場所である。  次に、希たちが高校時代の思い出としてキリコを出し、夏祭り「輪島大祭」を行った主会場である住吉神社に向かった。 …
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東京散歩Ⅱ その32 回向院にて

 回向院に向かって歩いて行くと、こんな案内板が立てられていた。  読んでみると、回向院の正門はかってこの位置にあり、江戸城側両国橋を越えると真っ正面に位置していて、あたかも両国橋が回向院参道の一部を成しているかのようだったと書かれている。  東京大空襲で消失し、正門は現在の国技館通りに正対する位置に移された。  その正門の位…
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東京散歩Ⅱ その31 吉良邸跡

 吉良邸のあった本所松坂町公園に到着した。  この公園は忠臣蔵で知られる赤尾義士の討入りがあった吉良上野介義央の上屋敷跡である。  吉良邸は昔は松坂町1,2丁目(現両国2,3丁目)のうちの約8400㎡を占める広大な屋敷だったが、今は一般民家が建ち並び、往事のおもかげはどこにもない。  昭和9年地元町内会の有志が旧邸内の一角を…
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能登(日本道)への道 その31 キリコ会館 

 朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りの続きで、キリコ会館に行った。  ここでは能登の伝統的な夏祭りである「キリコ祭り」に実際に使われているキリコの展示や、神事の紹介をしている。  キリコとは、「切子燈籠」の略であり、「切籠」でキリコと読ます。  キリコは祭りの御神灯であり、神輿の足元を照らす照明役として、神輿とともに担ぎ出さ…
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能登(日本道)への道 その30 朝市通りを散策 

 朝食の後は、朝ドラ「まれ」の街中のロケ地巡りということで、まず輪島川に架かる「いろは橋」を見に行った。  黄矢印で示した黄枠のなかの橋である。  この橋は、輪島高校に通う津村希の通学路シーンなどで度々登場した。  次に、この橋の右詰に2016年春にオープンした「輪島ドラマ記念館」に行った。  ここにはNHKの…
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少年行  李白

 少年行  李白     五陵の年少 金市の東     銀鞍白馬 春風を度わたる     落花踏み尽くして     何れの処にか遊ぶ     笑って入る     胡姫の酒肆の中   五陵の遊侠の少年たちが、金市の東の盛り場で   銀の鞍をおいた白馬にまたがり、春風の中わとおりすぎてゆく …
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東京散歩Ⅱ その30 芥川龍之介のおもかげを訪ねて

 両国公園を後にし、隣接する両国小学校の道路脇の角地に設置されている芥川龍之介文学碑を訪れた。  文学碑には「杜子春」から引用した以下の一文が刻まれている。 「お前はもう仙人になりたといふ望も持っていまい。大金持になることは、元より愛想がつきた筈だ。ではお前はこれから後、何になったら好いと思ふな。」 「…
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東京散歩Ⅱ その29 勝海舟生誕地まで歩く

 江戸東京博物館を出て、隣接施設で現在日本中で大人気となっている大相撲の本拠地である両国国技館に行った。  両国国技館は墨田区横網一丁目にある大相撲の興行のための施設であるが、、ボクシングやプロレスなどの格闘技の試合や年に数回程度のコンサート・ライブの会場として使われることもある。  珍しい催しでは、毎年2月…
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能登(日本道)への道 その29  民宿「海岸通り」に宿泊 

 時国家から、今日と明日の宿泊地となる朝ドラ「まれ」の主要な舞台でもある憧れの輪島の街に戻った。  ヨットのメモリアルの後ろに見えている建物は、一度は宿泊を考えた「ホテルルートイン輪島」で、宿泊料金が高かったので、「海岸通り」という民宿に泊まった。  ここは素泊まり3700円で泊まることができ、部屋も8畳間の広い和室で、…
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能登(日本道)への道 その28 「時国家」と「上時国家」を見学  

 「塩の駅」から5~6分走って、「時国家」に到着した。  この江戸時代には加賀藩に属していた「時国家」と、そのあと訪問する幕府と関りがあった土方家に属していた「上時国家」(後に天領となる)は、平家の最高重鎮で平清盛の義弟であった平大納言時忠の末裔の家である。  「時国家」の建物は江戸中期もしくは末期のものといわれ、古い鎌…
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クリシマスジョーク その3 「クリスマス・プレゼント」クリシマスジョーク 

娘が幼稚園の時の事です。 プレゼントを抱えて起きてきて不思議そうな顔をしていました。 「ねえ、サンタクロースって近所に住んでるの?」 ドキ!「どうして?」 「西友で買って来たみたいなの。包装紙がそうだもの」 ドキドキドッキン!!!! サンタの秘密バレバレでした。
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東京散歩Ⅱ その28 江戸東京博物館を見学 その4 幕末と文明開化後の東京

 江戸を見て回ったが、ここからは幕末と文明開化後の東京を見ていく。  幕末の最後の将軍である徳川慶喜の描いた大政奉還の図式とは異なり、薩摩藩を中核とする討幕派によるクーデターにより明治時代が始まり、江戸は東京となった。  徳川慶喜の描いた新時代の政権構想に興味があったのでここで紹介する。  以下は幕臣の開成所教授職を務めた西周が慶…
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東京散歩Ⅱ その27 江戸東京博物館を見学 その3 吉原遊廓

 吉原遊廓の展示も興味を引いた。  吉原とは江戸幕府によって公認された遊廓で、初めは江戸日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火後に浅草寺裏の日本堤に移転した。  前者は元吉原、後者は新吉原と呼ばれていた。  元吉原や新吉原は幕府公認の遊郭で遊女は3000人ほどいたというが、多くの働き盛りの男の要求を満たす数ではなく、費…
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クリシマスジョーク その2 言いたくないけど

4歳の少年がクリスマスの夕食の前に感謝のお祈りをするように求められた。 少年は祈り始めた・・・。すべてを神に感謝した。 まず友だち(ひとりひとり名前をあげて)、それから母、父、兄、姉、妹、おじいちゃん、おばあちゃん、叔父さん、叔母さん・・・。 ついで、食べ物も。七面鳥、ソース、フルーツサラダ、じゃがいも、パン、バター、飲み物・…
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能登(日本道)への道 その27 揚げ浜式塩田 

 揚げ浜式塩田は、白米千枚田から車で7~8分程の、黄矢印地点の三ツ子浜海岸にあった。  この塩田が始まるあたりから、国道249号線は塩街道や塩の道と呼ばれて、街道沿いには揚げ浜式の塩田が何か所か点在している。  ここの塩田は、塩の道の始まる起点として「塩の駅」と名付けられている。  さっそく体験塩田を覗いてみた。 …
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能登(日本道)への道 その26  白米千枚田にて

 白米の千枚田は能登半島随一の人気スポットで、輪島市の中心部から国道249号線を約15分ほど走って、黄矢印の千枚田に到着した。  なぜ白米千枚田と呼ばれているのかだが、通説は数が多いということでこう呼ばれているということで、「狭い田」からの転という説もある。  最も小さい田の面積は、0.2平方メートル程度という。  2006…
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釣り師ジュンチャンと一緒に日本一周の旅に出よう 今日は岡山県(^^)

 さて今日から中国地方、ここまで30都道府県を廻ったことになります。  47都道府県全クリアーまで、17県となりました。  これまでお付き合い頂いた方、感謝感謝です。  これからも、よろしくお願いいします( ^)o(^ )  岡山県と言えば、まず後楽園、倉敷では美観地区、また鷲羽山からの瀬戸内海の眺め、おとぎ話の桃太郎、宮本…
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東京散歩Ⅱ その26 江戸東京博物館を見学 その2

 江戸時代の町人の生活を特徴づけているものに長屋がある。  50万~60万程の江戸の庶民(町人)は、江戸全体の13%程の土地にひしめき合って暮らし、その7割以上の人々が長屋で暮らしていた。  長屋は通りに面した表店とその奥の路地裏にある裏長屋で構成されており、表店は地主か家主が営む店か住まいで、人に店舗として貸している場合もあ…
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東京散歩Ⅱ その25 江戸東京博物館を見学 その1

 午前10時を10分程過ぎて、今日の日程の中で一番楽しみにしていた江戸東京博物館に入った。   江戸東京博物館は墨田区横網にある東京都立の博物館で、両国国技館に隣接している。  失われていく江戸、東京の歴史と文化に関わる資料を収集、保存、展示することを目的に、江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館として199…
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江南の春  杜牧

 江南の春  杜牧       千里鶯啼いて緑紅に映ず        水村山郭 酒旗の風       南朝 四百八十寺       多少の楼台煙雨の中  当時の人が「江南」といったとき、連想するのは広い農村と古い都。広い農村の春には明るい晴れの天気が、古い都の春にはしっとりとした小雨がよく映る…
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能登(日本道)への道 その25 總持寺祖院散策

 これから總持寺祖院に向かう。  かつては曹洞宗の大本山「總持寺」として末寺1万6千余りを数えていたが、明治31年に火災にあい、それを機に本山の機能が横浜市へ移転、移転先が「大本山總持寺」となり、能登の「總持寺」は「總持寺祖院」と改称され別院扱いとなった。  目の前の橋は白字橋で、その奥には山門が建ってるが、2007年3月の能…
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能登(日本道)への道 その24 総持寺祖院に到着

 福良港をあとに、これから能登半島の西海岸を輪島まで北上するが、最初に巌門に向かった。  ここを降りていく。  巌門は、能登半島国定公園に指定されている能登金剛の一部である天然の洞窟である。  2分ほど歩いて、日本海の荒波によってぽっかりと空いた幅6メートル、高さ15メートル  奥行き60メートルにも及ぶ巨大な洞窟であ…
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東京散歩Ⅱ その24 北斎通りを散策

 都営大江戸線両国駅を超え、北斎通りを歩いている。  北斎とは、江戸時代後期に富嶽三十六景や北斎漫画を描いた世界的に著名な浮世絵師の、あの葛飾北斎のことである。  北斎生誕の地がここにあるので、北斎通りと命名されているらしい。  この通りには北斎生誕の地以外にも、大相撲春場所のご当地である両国国技館のある街に相応しく野…
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東京散歩Ⅱ その23 旧安田庭園を散策

 夕食はJR両国駅ガード下に店を構える全国チェーンの「熱烈中華食堂日髙屋」で食べた。  食べたのは、旅先で食事とするのに適当な肉と野菜の両方がしっかり入った肉野菜炒め定食で、ここのは期待に違わず、激安で超オイシかった。  翌日の朝食はホテルの簡単ないつものもので、写真の中には実際にはホテルの朝飯として提供してなかった、昨…
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能登(日本道)への道 その23 渤海の話Ⅲ

 日本との交易のために渤海が整備した道が中国の歴史書にも記されている「日本道」である。  「日本道」は上京の都を出て、そこからロシア沿海地方に出て日本海を渡るルートである。  渤海使が船出した地点がクラスキノ遺跡である。  ウラジオストクから車で6時間、クラスキノ遺跡はそこにある。  中国とロシアの国境付近、ロシア沿…
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能登(日本道)への道 その22 渤海の話Ⅱ

 これからロシアに200箇所以上ある渤海の遺跡の一つを、ロシアのウラジオストク郊外まで訪ねていく。  最初に向かったのが、渤海時代の山城の跡である。  ここは山城の跡で、山城は4mの石垣で囲まれていたということで、NHKの杉浦知紀アナウンサ-の手の高さの2倍位の高さがあったことになる。  渤海人はこのような山城を幾つも造り、…
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ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」抜粋 その3

ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」抜粋 その3 マーシャは父親にさけぶ ──父ちゃん、あたいもつれてって! 袋の上からとび下りて──ころがった 父はだき起こした。《泣くでねえ! すりむいた──あぁに、たいしたことねえだ! むすめっ子は俺(お)らにゃ手に負えねえ もう一人、あんなわんぱく小僧を 春までに…
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能登(日本道)への道 その21 渤海の話Ⅰ

 これからは渤海の話となる。  渤海は、西暦698年から926年まで、今の北朝鮮と中国東北部とロシア沿海州の一部を領土として、228年もの長い間栄えた国である。  日本の時代では飛鳥・奈良・平安時代のことで、その間渤海は34回も日本に使者を送り、その延べ人数は2500人にもなった。  これに応えて、日本からも渤海に使者…
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能登(日本道)への道 その20 渤海までの二つめの話 

 二つめの話は、5世紀となる。  この時代は倭の五王の時代で、大和政権は強大な力となり、朝鮮半島南部の支配をめぐって優位な立場に立つため、中国の宋に朝貢して安東将軍などの称号を得た。  例の讃、珍、済、興、武の時代で、大阪の堺市には仁徳天皇(讃と比定されている)陵などの巨大な前方後円墳が造られた。  一方朝鮮半島南部では4世…
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東京散歩Ⅱ その22 墨田川河畔をツリーを眺めながら歩く

 言問橋から吾妻橋方向に歩いて、ビュースポットとなっている場所に立ち止まってはシャッターを押していく。  この単純な作業を繰り返しながら、ふと探検家関野吉晴のグレートジャーニーの旅のワンシーンを思い出した。  シーンは、ヒマラヤ地域のカンリン・ポチェという聖山を、五体投地という礼拝などのために両手・両膝・額を地面に投げ伏して前…
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東京散歩Ⅱ その21 牛嶋神社から言問橋を歩く

 牛嶋神社は牛御前社とも言って、荒俣宏の集英社発行「日本妖怪巡礼団」に載っている化物神社である。  この神社にまつわる謂れを紹介する。  源頼光の兄弟に牛御前がいた。  牛御前は牛鬼のような姿をしていたので父は牛御前を嫌い、頼光に牛御前を討つよう命じた。  牛御前は関東へ下ってきて王国を築ことしたが渡辺綱ら四天…
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東京散歩Ⅱ その20 昼食後、ツリー周辺の街を散策

 東京スカイツリー内で昼食の予定びしていたが適当な場所を探せず、ツリーの外に出て、ツリー周辺の街を歩き出した。  歩いてしばらくして、「嵐山」という居酒屋兼家庭料理の店を発見した。  面白そうな店だと思って、そのまま店の中に飛び込んだ。  店の中に入るとカウンターの正面に、久保田、八海山、雪中梅、寒中梅、鶴亀など新潟県…
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青銅の騎手──ペテルブルグの物語── プーシキン

  序  言  この物語に書かれた事件は事実によっている。洪水の詳細は当時の記録からとられたものである。好事家はヴェ・エヌ・ベルフの編纂になる記事によってただすことができる。   序  詩 荒寥とした水の岸辺に、 彼*はたっていた、偉大な思いにみちて、 そして遠くを眺めていた。彼の前には広々と …
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能登(日本道)への道 その19  弥生時代末期頃の朝鮮半島南部との交流

 渤海のことを取上げたちょうど良い資料がNHKスペシャルで放映された「日本と朝鮮半島2000年」である。  その第5回のテーマが、「日本海の道~幻の王国・渤海との交流~」である。  古代の朝鮮半島との交流は、玄界灘から瀬戸内海を通る青線の「瀬戸内海ルート」が主流だったが、直接日本海を渡る赤線の「日本海ルート」での交流も行わ…
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能登(日本道)への道 その18 旧福浦灯台まで歩く

 福良津を見下ろす高台に石川県指定史跡に指定されている旧福浦灯台がある。  この金比羅神社の向こうに、旧福浦灯台の方向を示す看板が立ててあるので、そこから右手に曲がり、灯台までのんびり歩いていく。  歩いているのはこんな細い崖道で、左はガードブロックで固められており、右手はガードレールで守られている。  靴音が一番大き…
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オホーツク街道・イトウ釣りの旅 その5  気分だけは最高潮のまま、今回のイトウ釣りの全日程を終える

 猿払川のセカンドステージは新猿払橋の下(2の場所)である。  この川を熟知していて年間50匹以上のイトウを釣り上げる地元釣り師とは違って、僕はこの川を何も知らないのである。  今日初めてこの川に会って、今日初めてキャストするのである。  ただ、出会い頭の偶然ということも世の中には有りうる事で、石狩川で58cmの虹鱒に出…
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東京散歩Ⅱ その19 スカイツリーで展望デッキと天望回廊に上がる

 まず、地上350mにある展望デッキに到着である。  ここには記念撮影スポットやレストランやショップなどがあり、大変にぎやかだった。  特に展望デッキの記念撮影スポット付近は、見学者でごった返していた。  展望デッキから隅田川とそこに架かる橋を確認しながらここに40分ほどいたが、それが午後からの散策をより楽しいものにした。 …
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大阪散歩 その49  「司馬遼太郎への旅」の終わり 

 「司馬遼太郎への旅」は今回で最終回とする。  これから訪れるのは、司馬さんの街道をゆく「堺・紀州街道」の中で司馬さんが訪れた赤字アの南宗寺と、赤字イの「阪本のほねつぎ」から入る旧紀州街道である。  「さかい利晶の杜」で時間をとってしまって、肝心の「堺・紀州街道」の中の予定地を見る時間が少なくなったので、大急ぎでバスに乗り、大…
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大阪散歩 その48 宿院散策  

 バスで橋本駅まで行き、そこから南海鉄道高野線に乗って難波までいき、そこから電車を乗り継いで、今夜泊まるコンフォートホテル堺に午後3時頃に到着した。  2時間ほどホテルのベッドで寝てから風呂に入って、それからホテル近くの前に食べたことのある中華食堂で、再び前と同じ焼肉定食を食べ、生ビールも飲んだ。  料金は1200円程度だった。…
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近江街道をゆく その48 旅の終わり  

 「近江街道の旅」は今回が最終である。  ヤマト王権の直接の主要な血となった継体天皇の祖先やその妃となった人々の地を訪ね、日本人の血液のなかの有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきた痕跡の一部にたどり着き、琵琶湖の周囲をほぼ一周することができたので、「近江街道の旅」は収穫の大きい旅となった。  予定では天智天皇陵や…
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釣り師ジュンチャンと一緒に日本一周の旅に出よう 今日は兵庫県(^^)K

 日本一周の旅 今日は兵庫県(^^)!  兵庫といえば、神戸、姫路、淡路島などがすぐ頭に浮かびます。  「天空の城」と言われる竹田城や、世界遺産の姫路城も兵庫県にあります。  しかし、ここはなんといっても神戸で、釣り師は冬の最中にこの街を旅したことがあります!!!  新幹線から降りるとすぐに布引ハーブ園があり、ここでロ…
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近江街道をゆく その47  石山寺の豊浄殿にて 

 これから、この階段を上がって、石山寺と紫式部展が開催されている豊浄殿に向かう。  豊浄殿は石山寺境内の多宝塔の北西、石山寺の最も高いところに新設された宝物館である。  会場となる豊浄殿では、平安時代の御本尊の御前立ちだった如意輪観音像、「石山寺縁起絵巻」、「石山寺一切経」および「石山寺校倉聖教」、「幻の源氏物語絵巻」と…
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ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」から抜粋 その2

さもあらばあれ 農奴の妻のものがたりを われらはおもいついた 話そうために すばらしいスラヴ女の型というものが 今もなお みつけ出せるということを。 ロシヤの農村(むら)には女がいる しとやかできりりとした顔かたち たおやかで 力づよいものごし 歩きぶりも 眼ざしも 女王のような! 盲なら気づき…
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近江街道をゆく その46  石山寺に行く

 西国三十三所観音霊場の第14番札所の三井寺の次に、西国三十三所観音霊場第13番札所となっている石山寺に行った。  この寺は東寺真言宗の寺院で本尊は如意輪観音、開基(創立者)は良弁である。  近江八景の1つ「石山秋月」で知られる寺で、また蜻蛉日記、更級日記、枕草子などの文学作品にも度々登場し、源氏物語の作者紫式部は、石山寺参篭…
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