平安時代日記その2 そんな結婚ありかよ、もう嫌?

ある気違いじみた、栄光の男の話です。人は彼を望月の人という。
音出ます 。クリック↓
http://youtu.be/jD4gCH9Azms
画像を小さくして読んでください。(音を聞きながらだと倍楽しめます!!)

 藤原道長、藤原氏繁栄の頂点に立つこの男は、紫式部の「源氏物語」の主人公である「光源氏」のモデルとされている男である。
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 この時代、藤原氏は天皇家に娘を嫁がせ、その子を天皇にするというやり方で、政治の実権を握ってきた。
 その政治を摂関政治というのであるが。
 とにかく、自分の子を天皇の嫁にするのが、道長の主な仕事であった。

 道長は源倫子との間に、頼通、教通の男の兄弟と彰子、妍子、威子、嬉子の4人の娘をもうけたが、4人の娘は、全員天皇に嫁いでいる。
 長女彰子は一条天皇の妃(中宮という)に、次女妍子は三条天皇の妃に、嫁がせた。
 この両天皇とも、道長の姉が母親で、天皇は道長の甥にあたる。
 甥に自分の娘を嫁がせている。いとこ同士の結婚である。
 ここまではなんとか許す。

 ところが、ここからがすごい。
 三女の威子は彰子の子の後一条天皇と結婚である。この結婚はよく考えると甥とおばの関係の二人の結婚である。
 それも、おばさん20歳、甥11歳、おいおい、どうなってるんだいといっちゃいそうな結婚なんです。
 11歳でけっこんかよ、大丈夫なの?と心配な方、あなたは常識的過ぎる。
 男と女であれば、どうだっていいんだ、この時代は、愛もなんもいらない、藤原氏の陰謀はすごいです・・・・・。

 そして、どんじりに控えているのが4女の嬉子様であるが、これも後に後朱雀天皇となる東宮(後任の天皇として公認されるとこう言われる)に嫁いでいる。
 この結婚も、やはりおばと甥ですわ。おい、いい加減にせいよ、といいたくなります。13歳と15歳の姉さんカップルだ。

 そんなことで、今なら狂気とも思える政略結婚は歴史上の事実として、道長自身にとっては、金メダルのように、平安の空に燦然と輝いているのです。
 
 「おとうさん、よく頑張った。」
  平安4姉妹より

「お疲れ様でした。ゆっくり、休んでね。でも、馬っ鹿みたい。もう、嫌、11歳は嫌。」
 威子の本音です。


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