東京散歩Ⅱ その52 乃木坂散策

 本氷川坂から赤坂小学校に向かった。
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 ここに大岡忠相邸があったが、その痕跡を探そうと学校の周囲を探索したが、何も見つからなかったので、諦めて乃木坂に向かった。
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 乃木坂は、乃木神社や乃木邸の前の坂で、乃木神社の創建に合わせてその名称がつけられたということである。
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 実際の乃木坂は、こんな坂である。
 名称のもとになっている乃木神社に行ってみた。
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 乃木神社は日露戦争の旅順攻防戦を指揮した帝国陸軍大将・乃木希典とその妻を祭神として祀る神社で、乃木邸の隣に1923年に創建された。
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 乃木神社の隣の乃木邸には裏門から入った。
 乃木希典を考える時は、日本人が心の底に持っている黒い大きな雲の塊に取り憑かれるような気になるので、慎重に対処しながら邸内を散策していく。
 個人的に乃木を評価すれば、僕も司馬遼太郎と同じ見方で、軍人としての彼は無能・愚将であると考える。
 しかし明治天皇に頼まれて学習院院長に就任して以来の、質素と謹厳を核とした乃木式教育は一定の評価をされて当然と考える。
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 彼の人生の中で、日露戦争において多くの部下を死なせてしまったという自責の念は常に重くのしかかっていて、戦傷病者へのいたわりや施し、辻占売りの少年のエピソードに見られる貧しいもの達への心を込めた教育者としての態度には、万人が心を打たれるものがある。
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 また乃木希典は楠木正成を深く崇敬していて、彼に関する書物をできる限り集め考究し、正成を見習った乃木自身の尽忠報国を確立する糧とした。
 楠木正成は、明治以降の皇国史観の下で、戦死を覚悟で大義の為に従容と逍遥と戦場に赴く姿が「忠臣の鑑」、「日本人の鑑」として讃えられ、修身教育でもてはやされた。
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 乃木希典夫婦の殉死は、賛否両論が飛び交い、日本人の心の深淵を垣間見るような気がするのは、僕一人ではないだろう。
 個人的な見解だが、乃木の殉死は日露戦争における自責の念の最後の安らぎの道であったような気がしてならない。
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 いろいろなことを考えながら、乃木邸に別れを告げて表門から退散した。

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