「播磨と淡路のみち」 その4 二の丸まで 

 ここで寺村ガイドは、「のずら積み」の特徴を明快に説明する。
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 ここは「のずら積み」の代表的な技法で、石垣の角を算木積みと言われる技法で積み上げたものである。
 細長く切った石を、長い面と短い面を内側に少し傾けて積み上げていく技法で、しかも敵が上がりにくくなるように、上に行くほど外側に張り出すように造ってある。
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 内部の方も特徴があり、細長い石の真ん中に四角の小さい石が置いてあるが、これは実は他の石と同じ長さの細長い石で、内部に押し入れ下方方向に沈めるように積む「ごぼう積み」という技法で積んでいるので、このように小さくみえているだけである。
 隙間に空間がいっぱいあるが、戦国時代はこの穴の開いた空間にも小さな石が埋め込んであり、敵が上がってくると崩れる仕掛けとなっていたという。
 ここから熊本地震で崩れた熊本城の石垣の話となっていく。
 熊本城には、加藤清正が築いた「のずら積み」で積み上げた石垣と、平和な江戸時代に造られた大きな石面を前面に出して隙間なく積み上げる美しく造られた石垣と、明治になってから応急に造られた石垣があったが、明治の石垣が一番被害が大きく、その次が江戸時代の石垣、一番被害の少なかったのが「のずら積み」で積み上げられた石垣だったという。
 地震の際の「のずら積み」の強度が証明される結果となった。
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 北千畳から天守台を眺めているが、竹田城の奥行きは南北400mもあり、その大きさは姫路城とかわらないという。
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 少し歩いてまた石垣の話だが、石垣の端の算木積み部分に大きな石が縦に積まれているが、これは攻めてきた敵を威圧するためのもので、いかに竹田城の石積み技術が優れているかを誇示する目的との説明である。
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 ここは天守を臨む分岐点で、心理的には通常真っすぐに進んで行くが、進んで行っても天守の周りを一周しないと天守に上がる階段に到達することができない。
 正解は左手の道を行くわけだが、ここの石垣は手前が1m程前に出ていてしかも戦の時には草や木で隠してある埋め門となっていた。
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 埋め門を上がると、ここが二の丸となる。
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二の丸から南千畳を眺めた風景がこの絶景で、「この美しい風景により、竹田城は日本のマチュピチと言われている。」との寺村ガイドの説明である。

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