ボルガ川の旅 その2 「ヤロスラヴリ」にて

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ボルガ川河川地図
 
 
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               ヤロスラヴリ河港風景  ↑(最後に問題ありです。)
 ヤロスラヴリは、モスクワの北東約260キロ、大河ヴォルガのほとりに発展した、教会や修道院などの歴史的建築物に恵まれた美しい街で、この街のスパスキー修道院は、古代ロシア唯一の文学的傑作「イーゴリー戦記」の写本が発見されたことで有名
 
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                     ここが、スパスキー修道院 ↑

 この街はまた、ロシアの精神文化や建築、装飾、芸術などの根源的文化遺産が残る歴史都市を賞讃する「黄金の環」という名を付された都市郡の一で、この由来は、ロシアがまだ小さな都市国家の集合体であった時代の首都であった都市を線で結ぶと環状になることから命名されたものである。

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                        歴史地区の風景  ↑

 「黄金の環」を形成する都市郡は、ヤロスラヴリの他、キエフ、ノヴゴロド、モスクワ、ウラジミール、 ロストフ、スーズダリ、ニージュニー・ノヴゴロド、カザンなどである。

 街の起源は、 ロストフにいたキエフ・ルーシ時代の最盛期を築いたキエフ公国の大公ヤロスラフ賢公(978?~1054)によって、11世紀初頭に街が建設されたことに始まる。

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                       河港付近の街路風景 ↑

 伝説によれば、ヤロスラフ公がロストフ地方のヴォルガ川沿岸で狩りを行い、従士団から離れて一人になってしまい、コトロスリ川がヴォルガに流れ込む合流点にまでやってきた時、ヤロスラフは一頭の熊に襲われた。

 しかし、逆に手にした斧でこれを打ち殺し、公は事件を記念するため熊を倒した場所に教会を建て、自分の名を冠した街「ヤロスラヴリ」を創らせたという。
 
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                    イリヤ・プロロク教会(この教会が伝説の教会?)↑

 実際にこの辺りは「熊の土地」と呼ばれており、熊は異民族の支配する世界の象徴だった。

 ヤロスラヴリなど北東ルーシ原住の人々は、ハンガリー人などと祖を同じくするフィン・ウゴル系の人々。

 先住の異教徒の住む北東ルーシの世界に、植民者として入ってきた東スラヴ人たちは、先住民族を熊に例え、こんな伝説を創ったのだろう。

 ヤロスラフ公は異教徒・異民族を力で改宗させ、この地をキリストの土地に変えて行った。
 
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                               ヤロスラフ公 ↑

 13世紀になるとヤロスラヴリはロストフ・スーズダリ大公国最大の都市となる。

 そして1218年にヤロスラヴリ公国の首都として独立するが、 しかし間もなくタタール人(モンゴル帝国)が侵入し、およそ150年間、異教徒であるタタール人に支配される。

 タタール人支配時代や、周辺の強敵だったカザン・ハン国や アストラハン・ハン国との攻防の時代などを経て、19世紀中頃からはロシア有数の重工業都市としても発展し今に至っている。

 
 


 ここで、ヤロスラブリが生んだ、現在存命中の宇宙規模のヒロインを紹介。
 
 ヤロスラブリは、宇宙時代の幕開けとなった1960年代、女性として世界で初めて宇宙に飛び出したヴァレンチナ・ヴラディミロヴナ・テレシコワ(キリル文字:Валенти
́на Влади́мировна Терешко́ва193736-)を生み出した土地である。
 
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                               テレシコワさん ↑

 彼女は、1963616日にボストーク6号に搭乗し、71時間弱(34)の飛行で地球を48周し、史上初の女性宇宙飛行士となった人物。

 ヤロスラブリ紡績技術学校を1960年に卒業した工場労働者出身のテレシコワは、州の航空クラブに属していたのがきっかけで、宇宙飛行士候補となり、短期の飛行訓練を受けたのち、宇宙に飛び出した。

 彼女のコールサインはチャイカ(カモメの意、キリル文字:Ча
́йка)であり、"Я чайка"(ヤー チャイカ。「ヤー」はここでは「こちらは」の意味だが、チェーホフの戯曲『かもめ』の中で「私はカモメ」の意味で何度も登場する台詞でもある)が、女性宇宙飛行士が宇宙で発した最初の言葉となった。

 だが、彼女の宇宙飛行は、「私はカモメ」というような優雅な感覚のものではなく、ほとんどパニック状態での宇宙体験という大変なものだったようである。
 
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                            パニックで目もうつろ・・・  ↑

 無線機の扱いを間違え交信が出来なくなったり、暴れて窓ガラスにヒビを入れ、挙げ句の果てには宇宙船の設計者であるコロリョフを呼び出し、罵声を浴びせたりした。(彼は「ロシアのロケット開発の父」とも称される逸材で、世界最初の人工衛星“スプートニク”を製作したのも彼とそのチーム。)

 619日、テレシコワは無事に帰還する。この時も、大気圏突入にあたってのチェックがいっさい彼女から送られず、地上はハラハラしっぱなしだった。

 
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 結局、彼女の一連の振る舞いにより「女は宇宙には向かない」という印象を与え、数年後、女性飛行士チームは解散、彼女自身も、二度と飛ぶことは無かった。(でも、単身飛行で命がけのチャレンジをした当時「26歳のかもめさん」は、やはり真の探検家だったと、僕は確信している。)

 
 

 ヤロスラブリ市の近郊のカラビハ村は、民衆詩人プーシキンの後を受け継いだ、19世紀ロシアの詩人「ニコライ・ネクラーソフ」の故郷。(名前どおり、ネクラな人です。)

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                    サンクトペテルブルグの公園の中にある、ネクラーソフの像 ↑


 毎年、この村では、内外の文化人を招き、ネクラーソフをたたえる国際式典「ネクラーソフ祭り」を開催する。
 
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                     祭りは、ここに似た自然の美しい場所で開かれる。 ↑

 彼はこの村の地主の坊ちゃまとして生まれたが、ペテルスブルグ大学の受験失敗を期に父からの仕送りを絶たれ、極貧の青春時代を経て、創作活動への道に入り、ロシアを代表する民衆詩人・革命詩人となった。

 はげしく はげしく わたしは泣いた
 ふるさとの 河のほとりに
 立ったその朝
 そしてはじめてこの河を
 奴隷とかなしみの河と呼んだのだった。

   (「ボルガのほとり」1860年作、この詩に、ネクラーソフの本質が見えている。)

 詩人としての素質は今でも議論の余地があるということだが、ジャーナリストとしてのセンスは抜き出ていて、人気雑誌「現代人」「祖国の記録」の編集人等として長いあいだ文壇の中心にあって活躍した。

 この「現代人」という19世紀ロシア最大の雑誌を舞台として,ロシア最初の職業批評家ベリンスキーが生まれ、『猟人日記』のツルゲーネフ、戦争と平和のトルストイ、「平凡物語」のゴンチャロフなどが巣立っていく。

 ネクラーソフは「罪と罰」「カラマゾフの兄弟」などを書いたドストエフスキーを見出したことでも有名で、民衆詩人として既に名を成していた頃、持ち込まれたドストエフスキー(当時26)の処女作「貧しき人々」の原稿を読んで、感激のあまり、深夜にもかかわらず、ドストエフスキーの下宿を訪ねて、いきなり彼を抱擁し、その天分を賞賛したという。  (この話は、貧しい下級官吏のジェーヴシキンのあわれな恋の幻想がテーマ)

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                           ドストエフスキーの肖像画 ↑


 この他にも、「誰にロシアは住みよいか」など貧しい民衆に深い愛情を注いだ作品を書いたネクラーソフだが、彼の私生活は一風変わっていて、サンクトペテルブルグのイワン・パナーエフ夫妻の家に、夫、妻、妻の愛人(ネクラーソフ)という関係で、当時としてはめずらしくない関係で、しかも最も有名な関係として、三人で住んでいた。

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               サンクトペテルブルグのネクラーソフ通り公園の中にある、ネクラーソフの像 ↑
 
 この生活は10年も続いたという。

 イワン・パナーエフの死後、ネクラーソフは彼の妻と別れ、女性関係は乱れたようだが、その後34歳も年下の女性ジーナと結婚し、その妻に看取られながら生涯を終える。

 僕は、ネクラーソフの本質は、支配するものとしての貴族・地主階級の子弟の、支配されるものとしての奴隷・労働者(ナロード・民衆)階級に対する原罪意識から発生していると考えているが、この考え方によれば、罪が許されるのは、支配される階級による革命の成就しかありえない。結果として、ナロードのための、自己崩壊が前提となるのだが。

 ネクラーソフの長編叙事詩「デカプリストの妻」は、1825年1214日、皇帝の専制と農奴制に不満を持つ貴族の若い将校たちが起こしたデカブリスト(ロシア語で12月のこと)の乱の史実に基づく、夫の闘いの意義を理解し夫のシベリア流刑に付き添った彼等の妻たちの、住みなれた安楽な貴族の生活を捨ててシベリアへたどりつくまでの物語であるが、貴族という生活の放棄の物語でもある。

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               シベリア ペトロフスキー・ザヴォート駅のデカプリスト記念碑 ↑

 こうして、ロシア革命の思想的な下準備は、ネクラーソフや彼の仲間によって、19世紀の帝政ロシアの内部で醸成されていく。(ネクラな話になって、ゴメンネ。)

ここで、問題です。
下から好きなロシア作家を1人選んでください。理由も書いてね。
1 ネクラーソフ
2 プーシキン 
3 ドストエフスキー 
4 トルストイ

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