石狩川への旅 その26  札幌にて

 今日の夕方に小樽に戻る関係で、午後からの市内見学は限られた場所となった。

 国指定の重要文化財である北海道庁旧本庁舎札幌市時計台(札幌で一番つまらないという観光場所とか)、それに北海道立近代美術館北海道立三岸好太郎美術館に立寄ろうと考えていた。

 
 午後一番に、北海道庁旧本庁舎に立寄った。

 
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 北海道庁旧本庁舎が建てられたのは1888年のこと、この建物は建設時からもう120年以上も経過している。

 どこかしらロシアの赤の広場の建物を髣髴させる。


 庁舎内施設には、北海道立文書館北海道開拓記念館樺太関係資料館赤レンガ北方領土館などがあるが、展示室程度のもので、それぞれの展示室に貴重な資料とともに展示されていた。

 
 北海道の歴史は蝦夷地開拓の歴史である。

 
 鎌倉時代頃、津軽の安東氏が蝦夷地(北海道)の代官となり、戦国時代頃には蠣崎氏(後の松前氏に蝦夷地を譲った。

 
 江戸時代後期から蝦夷地の探検時代となり、高田屋嘉兵衛(司馬遼太郎の小説、菜の花の沖の主人公)が択捉航路を開設、伊能忠敬が蝦夷地を測量、間宮林蔵が間宮海峡を発見したりした。

 
 1845年には、「北海道」と当時の蝦夷地を命名した松浦武四郎が蝦夷地探険に入った。


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   当時の北海道は太平洋側が東蝦夷地、オホーツク海側と日本海側が西蝦夷地、サハリン(樺太)は北蝦夷地と呼ばれていた。

 
 樺太関係資料館には、日露戦争の結果として1905年のポーツマス条約以後1951年のサンフランシスコ平和条約まで約45年間(実質的には約40年間)日本の領土となっていた南樺太の日本時代の歴史が、貴重な資料として展示されている。


 こんな資料を見ていると、改めて北海道はロシアと日本の境界線地帯に立地していることを思い知らされる。

 
 ついでに、ニブフとかオロッコとかの展示資料を期待して北方民族資料室を訪れたが、期待はずれで、展示資料が少ない印象だった。(やはり、この手の資料は網走の北方民族博物館へ行く時までおあずけかな)

 
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 次に訪れた札幌市時計台は、噂に違わず札幌で一番つまらないという観光場所だった。
 
 20分100円の駐車料金すらもったいない気がしたが、それでも札幌市のシンボルとなっている時計台を見なくては、海を見に来て海を見なかった?ような気持ちになるのが癪で、しっかりと退屈な展示物を見て回った。

 
 午後の最後は、北海道立近代美術館に立寄った。

 
 実は、ここの所蔵品で日本画家の岩橋英遠(屯田兵の子どもとして北海道に生まれた。)の描いた松浦武四郎がモデルとなっている「憂北の人」を見てみたかったのだ。


  だが、この絵はこの日は展示されてなくて、所蔵品として絵画庫の中に眠っていた。


 この絵のモデルとなった松浦 武四郎(まつうら たけしろう、1818年3月12日(文化15年2月6日) - 1888年2月10日)は江戸時代、幕末から明治時代にかけて活動した日本の探検家である。

 
 雅号は「北海道人(ほっかい・どうじん)」。蝦夷地を探査し、北海道という名前を考案した人。

 
僧となった後、蝦夷地探検に出発。

 
その探査は択捉島や樺太にまで及んだ。1855年に蝦夷御用御雇に抜擢され再び蝦夷地を踏査「東西蝦夷山川地理取調図」を出版した。

 
 明治に入った1869年には開拓判官となり、蝦夷地に「北海道」の名を与えたほかアイヌ語の地名をもとに国名・郡名を選定した。


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 この絵が、岩橋英遠「憂北の人」で、蝦夷地探検時代の武四郎と北海道地図、それに北海道に生息するヒグマなどの生き物達が活き活きと描かれており、この絵の本物に会うために足を運んだのだが、本物を見る機会は、新潟市美術館での「片岡球子と日本画の巨匠たち」の新年企画展でかなった。(想像以上の迫力で、探険家松浦武四郎が眼前に出現した。)

 僕の満たされなかった願いは、ここで完結した。

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