ミシシッピ河の旅 その2  メンフィス

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↑ 赤ポッチの場所がメンフィスです。
 



 メンフィス (Memphis) は、アメリカ合衆国のテネシー州西端、ミシシッピ川に面する都市で、同州最大の都市。人口は約65万人で、その半数を黒人が占める。19世紀後半に綿花の集散地として発展、その綿花産業は奴隷としてアフリカから売られてきた黒人奴隷が担っていた。
 
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  メンフィスです。  ↑

 南部の町と西部の町の両方の顔を持ったメンフィスは、綿花取引の川の港として栄えた過去の歴史を町の随所に残しており、今でもアメリカの綿花取引の3分の1はこの町で行なわれている。

 フロント・ストリートとユニオン・アベニューの角には、メンフィス綿花取引所の古めかしい建物があり、その付近には大小の綿花関係の事務所が立ち並び、一帯はコットン街と呼ばれている。

 
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 メンフィスの綿花畑  ↑
   
 綿花労働者として生きた黒人奴隷の末裔が半分住むこの町で、少しアメリカ黒人の歴史について考えたい。

 黒人は、もともとアフリカにいたのだが、家畜程度の扱いで、アメリカに連れてこられたのである。

 白人(ヨーロッパ人)は16世紀から19世紀までの400年間にわたって、黒人を家畜同様に商品として扱って、産業として奴隷貿易を国家的事業として、何の罪悪感もなしに行なっていた。

 西ヨーロッパの綿製品、金属製品・アクセサリ、ジンなどの酒類、鉄砲そして現地では通貨だった子安貝などを積んだ船がアフリカ西海岸でそれらを奴隷と交換する。

 代わりに奴隷を積んだ船は西インド諸島やアメリカ大陸へ渡り、そこで、積んできた奴隷と交換して砂糖や綿花やタバコを手に入れ、それらの商品を積んで、西ヨーロッパの母港にもどる、いわゆる三角貿易の中で奴隷貿易は始められた。
 16・17・18世紀の間に、スペイン・ポルトガル・イギリス・フランスがアフリカ大陸から奴隷として狩り集めた黒人の数は、300年間に1500万人に上ると推計される。

 
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 奴隷船  ↑

 この奴隷貿易は19世紀まで続いた。イギリスで奴隷貿易禁止令が出たのが1808年、イギリスでの奴隷制度の廃止は1830年代、アメリカ合衆国では1863年、ブラジルでは1888年であった。

 
メンフィスと言えばここでの最大のヒーローは、白の代表としてエルビス・プレスリー黒の代表としてマーチン・ルーサー・キング牧師の二人を取りあげたい。

 白の旗手エルヴィス・プレスリーは、1935年、ミシシッピー州のテュペロに生まれた。小さな頃から聖歌隊でゴスペルを歌っていた彼は、しだいにブルースにのめり込むようになり、高校時代にはメンフィスの歓楽街であり、当時の黒人文化の最先端ビール・ストリートに入り浸るようになっていた。
 
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夜のビールストリート  ↑

 やがてプレスリーは、ブルースやR&Bを歌いこなすことができる白人歌手として、「反抗する若者たち」の代表として、また白人でありながら、黒人の文化であるブルースやR&Bを黒人のように歌う歌手として、社会全体にまで影響を与える程のスーパーヒーローとしての地位を築いて行った。

 
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 官能的に腰をくねらせながら、パンチの効いた強烈なロックのリズムに乗り"体で歌うプレスリーは、彼の腰の動きがあまりにセクシ一だということから、テレビ放送は彼の上半身しかブラウン管に映さなかったという。

 彼は、しかし42歳の若さで消えていった。
 
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 1977年8月16日、エルヴィスは複数の薬物を過剰摂取し続けたことが原因で、メンフィスの自宅で急死。突然の悲報は衝撃と共に世界を駆け巡った。

 
当時の合衆国大統領ジミー・カーターは、「エルヴィスの死によって、アメリカはその一部を失った」と語り、人々はその早すぎる死を悼むとともに、ひとつの時代の終焉を感じ取った。

 エルビスが過ごしたグレース・ランドは正確にはメンフィスがあるテネシー州でなく、ミシシッピー州に存在する。

 グレース・ランドにはエルビス博物館、豪邸、自家用飛行機等があり、博物館員が居て親切に案内してくれる。
 

 
そして、マーチン・ルーサー・キング牧師の登場である。

 
アメリカの歴史上もっとも偉大な人物は誰か。日本人の感覚ならワシントンやリンカーンだが、アメリカ人の多くは「マーチン・ルーサー・キング・ジュニア」と答えるという。
 
 この黒人ヒーローが、今のアメリカでは一番偉大なアメリカ人なのである。

 1950年代。第二次大戦も終わり,自由と平等が実現されたはずのアメリカだが人種の不平等はあった。

 南部の州の多くが人種隔離制度を続けていたのだ。施設やバスの席などは白人用と黒人用を分けられ,さらに黒人には選挙権もなかった。

 そんな制度をやめようと公民権運動に立ちあがったのがキング牧師だ。

 キング牧師は1929年1月15日、ジョージア州アトランタの黒人牧師の家に生まれた。25歳でアラバマ州モンゴメリーの黒人教会の牧師になる。

 
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キング牧師の生家  ↑

 市バスでの差別に抗議した主婦が逮捕されたのをきっかけに,26歳で公民権運動に加わる。以来,反対派や警察からなんど度も暴行を受け,投獄されたり命を落としかけたこともあった。

 
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 だがキング牧師は「 暴力には魂の力で応えるのだ」と訴え,暴力をつかわない運動を指導。「 白人に対する黒人の勝利でなく,すべての人の自由と平等という勝利が白人と黒人がともに見るアメリカの夢」と説き続けた。

 有名なI have a dream(私には夢がある。)演説は1963年8月28日,アメリカ,ワシントンDC。黒人公民権運動の行進に参加した25万の人びとにむけて,リンカーン記念堂前で行なわれた。
 
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 「私には夢がある。いつの日にか,ジョージアの赤土の丘の上で,かつて奴隷であった者たちの子孫と,かつて奴隷主であった者たちの子孫が,兄弟として同じテーブルに向かい腰掛けるときがくるという夢を。私には夢がある。いつの日にか,私の4人の幼い子供たちが肌の色によってではなく,人となりそのものによって評価される国に住むときが来るという夢を。・・・・・」(演説の後半の1節から引用)

 そして1964年,ついに公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)が制定。キング牧師はノーベル平和賞を受賞する。しかし,1968年4月、テネシー州メンフィスで反対する勢力の銃で撃たれ、39歳の若さで亡くなった。

 5年前に夫ジョン・F・ケネディ大統領を暗殺されたジャクリーン・ケネディはこの時、「いったい、いつになったらこの国は、武器によって生きるものは武器によって滅びることを学ぶのでしょうか。」とマスコミの前で語った。
 
 
キング牧師の死後,彼の誕生日を記念し,1月の第3月曜日は国の祝日となった。祝日となった個人は,キング牧師のほかは,コロンブスと初代大統領ワシントンだけである。

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