因幡と伯耆の旅 その6 因幡国庁跡を訪ねる

  身体も頭もすっきり回復して、この夜はぐっすり眠れた。
 翌日の朝食も、ホテルで美味しくいただいた。
 旅も3日目となったが、今日からはレンタカーを借りて3泊4日で鳥取県を旅することになる。
 レンタカーの旅となったことでようやく因幡・伯耆の旅が楽しめそうである。
 当初の計画も一部分変更した。
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 これは今日827()の最初の計画である。
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 昨日は午後の計画を取りやめたので、今日行く予定だった八上売沼神社をやめ、その代わりに昨日行く予定だった因幡国庁跡と宇倍神社を日程に加えた。
 あとは最初の計画どおりである。
 ホテル近くのトヨタレンタ鳥取駅前店でレンタカーを借り、最初の目的地である因幡国庁跡へ向けて出発した。
因幡国庁跡までは距離にして5km、時間にして10分程の市街地からかなり近い距離にある。
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 奈良朝の頃に国府が存在したといわれている因幡国庁跡は、鳥取平野の東端にあり、千代川を避けているという印象である。
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 因幡国庁跡に入る前に、この袋川という川を渡った。
 「国府はどの国府もそうだが、水害の少ない場所で周囲に美田があり、細流も流れているという場所が理想とされた」と司馬さんは「街道をゆく 因幡・伯耆のみち」で書いているが、この袋川は国府近くの細流に当たる。
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 ここを右に回ると因幡国庁跡であるが、もうこの辺りはどこでも因幡国府が置かれた当時の因幡の国の中心地である。
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 ここの左手を見ると、両側の二つの木のまんなかに、まんまるとした独立峰が見えるが、今木の丘という。
 今は今来で「ごく最近やってきた人」という意味で、渡来人の住む村のことをいう。
 渡来人は朝鮮半島等から日本海を超えて、このあたりにも住んでいたのである。
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 先ほどの道を右折して、この道を真っすぐ行くと、この道の左手に因幡国庁跡がある。
 前の話に戻るが、因幡の国は日本に米作りの技術が伝わった弥生時代に、朝鮮半島や中国や東南アジアや南の島々など様々なところから渡来者が来て、先住の縄文人と様々な人種の地がここで混じり合った場所である。
 混血が進むと美人系が多くなるということで、その地を受け継いだ因幡の国は美人を多く産出することで有名だった。
 その中でも、特に因幡の采女の話は有名である。
地方豪族の娘の出目で奈良の都で天皇に使える女たちを采女と呼んでいたが、都で働く多くの采女達の中でも因幡の采女達はどの国から来る采女達よりも美人でさっそうとしていて、都中の男たちの憧れの的であったという。
混血の地がしっかり因幡の地に受け継がれていたのである。
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 美人国の話をしている間に、どうやら因幡国庁跡に到着である。
 因幡国庁跡に入っていく。
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 このあたりは小型の大和ともいうべき地形で、まわりに青垣山がたたなずき、因幡の国のまほろばという風情である。
 この因幡国庁に、万葉集を編纂したことで知られる大伴家持が758年に因幡守として赴任している。
7591月には、因幡国府で「万葉集」の最後の歌を詠んだという。
その歌は
「新しき 年の始の 初春の 今日ふる雪の いや重げ良事」
 歌の意味だが、色々と諸説があるようである。
 「新しい年の初めに豊年の兆しだと言われている大雪が降っているが、この雪のように良い事がもっと重なってほしい」という位の意味に、ここでは留めて置く。
 今でいえば鳥取県知事の立場なので、いろんな心配事があるのだろうと推察した。
 少し因幡国庁跡の空気に触れてから、次の目的地である宇倍神社に向かった。
 

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