能登(日本道)への道 その5 国守の印と、正倉を祀る印鑰(いんにゃく)神社を見学

印鑰神社の次に、30分ほどかけて能登国分寺跡に向かった。
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まず能登国分寺展示館に入って、国分寺跡の概要を知り資料等をいただいた。
能登国分寺は、かつてこの地方を支配していた能登臣(のとのおみ)の一族が白鳳時代末に建てた大興寺を、843年に国分寺として昇格させたものである。
能登国は、718年に越前国から羽咋郡、能登郡、鳳至郡、珠洲郡の四郡を分立して成立した。741年には越中国に併合され、この時に聖武天皇が国分寺建立の詔を発布している。
しかし、能登国は当時かなり困窮していて、とても国分寺を新設できるような経済的な余裕がなかったようで、聖武天皇の詔が発せられてからなんと100年後に、既存の大興寺を昇格する形でようやく国分寺が創建されたという。
能登国分寺展示館を出て、広大な国分寺跡を歩いていく。
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これは国分寺公園案内図である。
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能登国分寺跡と書かれた大きな石碑を見ながら、石碑の奥に建っている南門に向かって真っ直ぐに歩いていく。
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この前に立ちはだかるのが、1千年前の姿そのままに遺跡の上に復元された南門と塀である。
門の幅は8.4m、奥行き5.4m、高さは6.3mもある。
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実際に近くで見ると、柱の大きさや迫力などは想像以上である。
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ここは塔跡である。
能登国分寺の塔は、一辺4.5m、高さ約25mの小規模な五重塔だったようである。
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このように五重塔の礎石が置かれているが、中心部に置かれている茶色の石が塔心礎で、中央部に丸い穴が開いている。
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ここは金堂跡である。
金堂は、幅15m、奥行11m、高さ12m程の建物であったことがわかっている。
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ここは、能登国分寺の裏門にあたる北門のあった跡である。
20分ほど能登国分寺跡にいて、ここの散策を終えるが、事務のおばさんからいろいろと親切にしていただいたので、当時の建物の様子を想像しながら楽しく歩くことが出来た。
 

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