台湾紀行その13  鹿港見学 その1

 昼食後は青丸で囲まれた赤い2番の場所「鹿港」の見学である。

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 鹿港は台湾西岸の中間に位置し、清の統治時代には天然の良港として商業の中心地として発展した。鹿港一体は台湾原住民平埔族のうちパゼッヘ族の居住地だった。
なお平埔族(へいほぞく)は、台湾原住民のうち西部の平野部に住む民族を指す総称である。

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 元々は、台湾の平野部全域に居住していた。
 しかし、明代以降、特にオランダが漢人を労働力として移入させてから、漢人との通婚や漢化が進み、特に清朝は政策として漢化(漢文化)を推し進めた。
そのため、徐々に平埔族を名乗る者は減少していった。日本統治時代に平埔族についての研究が始められたが、既に大多数は漢人化していた。鹿港の語源だが、Rokau-anが台湾語音で宛てられて鹿仔港のちに鹿港となったといわれている。

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 ただこれには諸説があって、台湾の中部に鹿が多く生息しており、その鹿が海辺に集まっていたことから鹿仔港、後に鹿港と簡称されたとか、地形が鹿の形に似ていたことから鹿仔港と称されるようになったとか、昔は米穀の集散地として栄えており、米穀を保存しておく倉庫を鹿と呼んだことから鹿仔港となったとかである。

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 鹿港の名が文献上に現れるのは1784年である。
この年鹿港と福建省蚶江の間で航路が開かれ鹿港の黄金時代が始まった。1785年から1845にかけてが鹿港の全盛期であり、人口は約10万もあり、当時の台湾において第二の都市となっていて、一府(台湾府城が置かれた台南)、二鹿(鹿港)、三艋舺(今の台北市萬華)」と言われた。

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