能登(日本道)への道 その18 旧福浦灯台まで歩く

福良津を見下ろす高台に石川県指定史跡に指定されている旧福浦灯台がある。
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この金比羅神社の向こうに、旧福浦灯台の方向を示す看板が立ててあるので、そこから右手に曲がり、灯台までのんびり歩いていく。
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歩いているのはこんな細い崖道で、左はガードブロックで固められており、右手はガードレールで守られている。
靴音が一番大きく響いて聞こえているが、鳥の声なども時々聞こえてくる。
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鳴いているのはヨシキリやヒバリで、初夏を感じながら歩いていると、道の向こうに海が見えてきた。
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後ろを振り返って見ると、こんな風景が広がっていて、「能登はやさしや、土までも」とうたわれている地の、そのとおりの風景の中を歩いている幸せを強く感じた。
能登はどこへ行っても、風景が優しい感じがして、ほっとするのである。
こんなところに生まれれば、人間の人格や性格もずいぶん温和なやさしさに溢れた人になるのだろうと思った。
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 そんなことを考えているうちに、旧福良灯台に到着した。
最初にこの灯台を見て、カッコいいと思った。
カッコいいだけでなく、「能登はやさしや、灯台までも」と言いたいくらい、やさしい雰囲気のある美人灯台である。
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 階段を降りて後ろから見ても、その優しい感じは変わらない。
この灯台の前に「日本燈台濫觴(らんしょう)之地」という石碑が建っていた。
濫觴(らんしょう)とは何者か見当もつかなかったが、ネットで調べて了解した。
この「濫觴」は、「揚子江のような大河も源は觴 (さかずき) を濫 (うか) べるほどの細流にすぎないという「荀子」子道にみえる孔子の言葉から、物事の起こり、始まり、起源」という意味だという。
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 灯台の近くに説明看板があったので、読んでみた。
旧福浦灯台の起源は古く、1608年に日野長兵衛が夜に航行する舟の安全のために篝火を焚いたのが始まりとされる。
元禄年間に灯明堂が建てられ、日野家が代々灯明役として守った。
現在の灯台は1876年に日野吉三郎が建造したもので、日本最古の西洋式木造灯台で、高さは約5m、内部は3層になっている。
1910年に福浦村営の灯台となり、現在の福浦灯台が設置され、1952年まで使用された。
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 目の前に広がる絶景を眺めながら、旧福良津に来港していた渤海のことを再び考えている。

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