東京散歩 その2 旧岩崎邸

旧岩崎邸へ向かう。

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 旧岩崎邸の敷地は、不忍池の南西方、台東区池之端一丁目(旧下谷区茅町)に位置し、文京区湯島と境を接している。
 
旧岩崎邸の敷地は、江戸時代には越後高田藩榊原家の中屋敷であった。
 明治時代初期に牧野弼成(旧舞鶴藩主)邸となり、1878年(明治11年)に三菱財閥初代の岩崎弥太郎が牧野弼成から邸地を購入したものである。

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 現存する洋館、大広間(かつての和館の一部)などは、岩崎財閥3代の岩崎久弥によってジョサイア・コンドルの設計で建てられ、1896年(明治29年)に竣工したもの。

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 洋館の南側であるが、ここから手前に広い庭が広がっている。
 洋館は1896年(明治29年)に竣工し、岩崎家の迎賓館として用いられた。
 ここは三菱財閥の夢の跡である。
 三菱財閥は三井、住友とともに三大財閥であるが、三井、住友が三百年以上の歴史を持つ旧家なのに対して、三菱は岩崎弥太郎が明治期の動乱に政商として巨万の利益を得て、その礎を築いた新興財閥である。
 その洋館の中に入ってみた。

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 この豪華な廊下を歩いてゆくと、政商として成長していった岩崎家の歴史が見えてくるようである。

 岩崎弥太郎が最初に巨利を得るのは維新政府の全国統一貨幣制度の時で、各藩の藩札を新政府が買い上げることを事前に察知した弥太郎は、十万両の資金を都合して藩札を大量に買占めて、それを新政府に買い取らせ莫大な利益を得た。
 土佐藩士たちにより、九十九(九十九は土佐湾の別名)商会が設立され、彌太郎は藩の立場から事業を監督、藩船3 隻も九十九商会に払い下げられた。
 九十九商会の主たる事業は汽船廻漕業(海運業)で、高知・神戸間に加え、東京・大阪間の貨客輸送も担い、そのかたわら外国商館や大阪商人との物産の売買、それに紀州藩から取得した炭坑の経営も行った。

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 この一階サンルームからは広い庭が展望できるが、岩崎家がここから明治の日本全体の動静を鳥瞰していたような気がした

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