探険家の歴史 第2部 長江の旅 その2 南京にて(クイズ付き、ご回答ください!!)

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  宋家三姉妹デス。最後に問題があります。  ↑

  

 南京市は江蘇省の省都で、長江下流にあり、丘陵地が多く、緑豊かな歴史的古都で中国7大古都の一つともなっている。


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 史跡に恵まれており、いたるところ観光の要衝となっている。

 特に有名なのは、明王朝の開祖「朱元璋」を葬る陸陵である『孝陵』と、近代中国の父として、博愛思想のキリスト教徒として、「民族」「民権」「民生」の三民主義を唱えた孫文を葬る陸陵である『中山陵』(日本に亡命していた時に名乗っていた中山樵から取った。)である。


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   中山陵   ↑


 気候は、温和・湿潤で、四季がはっきりしている。

 特に南京の猛暑は有名で、武漢や重慶と並び「中国の三大かまど」と呼ばれている。


 南京は東の郊外にある湯山にて猿人の頭骨が出土したことがあり、数十万年前に人が集まり住んでいた地であることを実証した。


 芥川龍之介はここを舞台に「南京のキリスト」という短編を書いている。

 映画化され、富田靖子が15歳の売春婦を演じ話題になった。

 下町は売春婦の似合う町である。


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   映画 南京のキリストより  ↑


 都市としての始まりを作ったのは、上海で紹介した越である。


 紀元前472年に越王の勾践が呉を滅ぼした後、現在の中華門の南西地点に都を築き、南京の城壁史の始まりとなった。

 3世紀以降に相前後して東呉、東晋、南朝の宋、斉、梁、陳(以上を六朝と称する)及び南唐、明、太平天国、中華民国の10の朝代と政権がこの地に都を置き、豊かな民族遺産を残している。


 司馬炎の建国によって続いていた晋(西晋、265~316)が匈奴によって滅ぼされ、ただ一人難をまぬがれた司馬睿は、豪族の王氏に助けられて、江南に移り、建康(現在の南京)で皇帝の位につき、東晋の幕開けとなる。


 江南に東晋が成立すると、華北に住んでいた漢人の豪族や多くの農民が、戦乱をさけてこの地に移住した。

 このため開発の途上にあった長江の中・下流域は急速に発展した。

 東晋の朝廷においては皇帝の権力が弱く、貴族によって自由清新な精神的活動が行われた結果、優雅な貴族文化が発達した。


 詩人としては陶淵明(365頃~427)、書には後世、書聖と呼ばれた王羲之(307頃~365頃)、絵画では画聖と称された顧がい之(344頃~405頃)が活躍した。

 宗教においては、白蓮社を結成した慧遠(334~416または417)らの布教によって、仏教が貴族層に受けいれられた。


 書聖と言われた王羲之は漢民族のほんとうの心を持った人物と名高く、後世の皇帝が彼の書を秘宝として珍重した。


 浙江省紹興の西南二十七里蘭渚で王羲之(王逸少)は、当時の名士孫綽・謝安ら四十一人と祓禊、曲水流觴の宴を開いた。

 王羲之はその事を述べて「蘭亭集序」を作った。千古の名筆で、唐の太宗がこの蘭亭集序を召し取って非常に愛重し、遂に自分と共に昭陵に葬る。真筆は唐末期の乱に陵が盗掘された後、その所在は不明になった。


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   蘭亭集序です。  ↑   

     

 王羲之の『快雪時晴帖』は24文字の短い手紙だが、清の乾隆皇帝がこれを非常に気に入り、これを王献之の『中秋帖』、王珣の『伯遠帖』と同室に珍蔵し、その部屋を『三希堂』とした。


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  快雪時晴帖です。

  雪の日は僕も 乾隆帝の真似してみよう ↑   



 乾隆帝は雪が降ると、この書帖を取り出して鑑賞し、余白に、王羲之のこの書をあらゆ書の中で最高のものという意味で、神と書いて愛でたという。

 『快雪時晴帖』は今は、台湾の故宮博物院にある。




 陶淵明(365頃~427)は今から千六百年も前に生きた東晋の田園詩人で、「田舎暮らし」を実践した菊と酒の好きなおじさんである。


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 自然と自由が大好きな淵明は、田園の中に「桃源郷」という理想郷を創作し、彼の理想とした「太陽が昇るとともに起きて雑草をむしり、月を背に鋤を担いで帰る百姓仕事に精を出す。」生活を送り、生涯を終えた。


 現代人には、彼のような生活に憧れる人が多数いるが、物質的に恵まれた今の時代では、陶淵明的な生活は最高の贅沢と言えるかもしれない。

 漢詩なども、畑仕事の合間に創作して、優雅な生活だと僕は思うね。


 南京を都とした近代の太平天国、中華民国の時代は、アヘン戦争をきっかけに民族意識に目覚めた中国民衆の、革命運動の時代でもある。

 その先兵が、太平天国の乱を起こした洪秀全であり、その後革命のエネルギーは孫文等に引き継がれ、辛亥革命となり、清はついに滅びるのである。


 太平天国の時代とは、洪秀全が反清朝と財産・男女の平等をかかげ,太平天国の国号をたて,1853年に南京を占領し天京と改名し,ここを首都とし自分の宮廷をつくった時代のこと。

 その政治は、キリストの弟と信じ革命を起こした割に、原始共産主義社会に似ているところがある。


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 辮髪(満州族の髪型)を断ち長髪とする。(清は太平天国を長髪賊の反乱と呼ぶ。)

纏足(てんそく)や阿片の禁止を行い、【天朝田畝制度】(土地と生産物を平等に分配する制度)を採用した。

 革命は破れ、洪秀全は服毒自殺した。



  

 そして、中国近代史は宋家の三姉妹と三姉妹を取り巻く男たちの時代へと移っていく。



 20世紀初頭の中国、裕福な宣教師の家庭に生まれ育った3人の姉妹がいた。



 長女宋靄齢(アイレイ)は孔子の末裔である大富豪の妻となった。


 次女・宋慶齢(ケイレイ)は親子程も年の差のある革命家・孫文の妻となった。孫文は妻と離婚して再婚、しかも宋慶齢は親友・宋嘉樹の娘であった。


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  孫文と宋慶齢  ↑ 年の差は27歳です。


 三女、宋美齢(ビレイ)は青年将校・蒋介石の妻となった。

 蒋介石は妻と離婚して宋美齢と結婚した。


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    蒋介石と宋美齢 ↑


 この宋嘉樹の娘たちが、中国近代史の重要な役を演ずることになろうとは、まったく誰も思っていなかったことだろう。


 彼女らは中国の伝説となり、こう言われた。


 20世紀初めの中国に三人の聡明で美しい姉妹がいた。


 ひとりは金を愛し、ひとりは権力を愛し、ひとりは国を愛したと……。



 ここで問題です。  





 国を愛したひとが結婚した人は誰ですか?彼は中国のリンカーンと言われた。

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