台湾紀行 その35 九份(ゴールドラッシュの街)を歩く

 九份は東洋随一の金鉱があった金瓜石に近く、かってゴールドラッシュに沸いた街。

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 清朝時代の1890年(明治23年)、基隆川に架ける鉄道橋工事の最中、作業員によって渓流から砂金が発見された。
 1893年には九份にて金鉱を発見、一躍ゴールドラッシュの様相を呈し、翌1894年には金瓜石でも金鉱が発見された。
 金瓜石鉱山は日本統治時代に東洋一の規模を誇る鉱山として成長し、中華民国統治時代も鉱脈が尽きるまで掘り進められた。
 金瓜石鉱山90年の総生産量は純金120t、純銀250t、銅25万tに上るものと推定されている。
 九份の方も、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に最盛期を迎えた。

 九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られたものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。


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 僕等のツアーは、軽便路の駐車場でバスを降り、軽便路賢崎路に向かって進んで行く。

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 九份は第二次世界大戦後は金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山され、町は急速に衰退し、人々から忘れ去られた存在となっていたという。
 その九份を再び表舞台に立たせたのは映画『悲情城市』だった。
 1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件【本省人(台湾にもともと住んでいた人々)と外省人(中国から台湾に移民した人々)が戦った事件】を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市(A City of Sadness)』(侯孝賢監督)のロケ地となったことにより、九份は再び脚光を浴びるようになったのだ。

 映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが起こった。


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 僕等のツアーは軽便路を賢崎路に向かって足早に進み、ようやく賢崎路上に立地する「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店の前に到着した。

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