因幡と伯耆の旅 その23 名和神社から大山へ 


名和長年は伯耆国名和(鳥取県西伯郡大山町名和)で海運業を営んでいた名和氏の当主で、赤松氏と同じく村上源氏雅兼流を自称している。

長年は大海運業者だったとする説や悪党と呼ばれた武士であったとする説があるが、楠木氏同様に商業活動を行って蓄財をしていて比較的裕福な武士であったのは間違いない。

鎌倉幕府の討幕計画が露見し捕縛されて隠岐島に流罪となっていた後醍醐天皇が1333年に島を脱出すると、これを船上山(現在の鳥取県東伯郡琴浦町)に迎えて討幕運動に加わり、船上山の戦いに勝利した名和長年は、後醍醐天皇により伯耆守に任じられた。

長年は建武の新政下で重用され、楠木正成、結城親光、千種忠顕と合わせて「三木一草」と称された。
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大鳥居の横に名和神社の説明看板が立っていた。

名和神社は名和長年の威徳を慕う地元の人々によって、名和邸跡とされる場所に小祠が建立されたのに始まる。

その後、1677年に鳥取藩主となった池田光仲が長年を崇敬して、名和邸跡の東方の日吉坂の山王権現の社地に新たに社殿を造営して遷座した。
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猛烈な蝉しぐれの中を、社殿を目指して参道を歩いていく。
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どうやら、社殿が見えてきた。
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ここが社殿で、現在の社殿は昭和10年に完成、明治神宮を造営した角南隆が手掛けた。

社殿から日本海を望むと、海を越えて一直線上に後醍醐天皇隠岐行在所があるということだが、残念ながら境内に繁茂する樹木に遮られて、海も見えなかった。

神社の境内は名和館の米蔵があった場所で、合戦の折に焼き払ったため、今でも神社の裏から焼き米が出てくるというが、神社の裏まで回るほどの気も起きず、財布の中の小銭を賽銭箱に入れて名和神社をあとにした。
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今日の見学予定は終了し、これから20km程先の大山中腹の宿に向かって30分程走って行く。
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大山山麓の道は快適で、快調にレンタカーを進めていく。
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途中でレンタカーを停めてこれから進む方向の風景を写したが、黒の小型車がレンタカーで借りているトヨタビッツである。
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気分よく大山山麓を走って、午後2時半には宿前に到着した。



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