奈良散歩 その4 大仏建立の秘話

東大寺の二月堂までの道には猪も出るらしい。

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   境内への道のすぐ傍に、奈良奥山ドライブウェイなるいかにも山深そうなドライブウェイへの入口があるのである。

昨日散策した時に「猪に注意」という看板もあって、二月堂への近道と思われる道を避けて通ったが、今朝も安全な道を歩くことにする。

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   鹿の方も東大寺の境内の全域に入り込んでいるようで、昨日は心の中で「鹿さん、遊んでください」と言ったところ、その鹿に通じたのか近づいてきて、「いいよ、遊んでやる」と言ったような声が聞こえたような気がしたが、いずれにしても空気のように水のように、どこにでも鹿の居る風景はいい。

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   安全な道をあたりの風景に目をやりながらのんびりと歩いていくと、大仏殿の裏側に広がる広場に出た。

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   道を突き当たって右手方向の広場には、数頭の鹿がそれぞれ思い思いの姿勢でのんびりと東大寺の朝を過ごしている。

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   正面を見ると、大仏殿の鴟尾(しび;瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種でくつに似ていることからくつ形とも呼ばれる。)が逆光の中に鮮やかに浮き上がっていて、実にいい風景である。

ところで、東大寺大仏殿の大仏の開眼の儀式が行われたのは奈良時代の752年で、当時の天皇である聖武天皇は平城京だけに居られず、色んな場所に都を構えた大変な時代だった。

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   聖武天皇が近江国甲賀郡(現在の滋賀県甲賀市)に営んだ紫香楽宮もその一つである。

恭仁京遷都時の741年に国分寺建立の詔を発した天皇は、742年に紫香楽宮という離宮の造営を開始し、743年にはこの紫香楽宮で大仏建立の詔を発した。

74411月には甲賀寺に盧舎那仏像の体骨柱が建てられ、7451月には紫香楽宮は新京と呼ばれ、宮門に大楯と槍が立てられて都とされた。

しかし人臣の賛同を得られず、また天災など不幸なことが相次ぎ、同年5月に平城京へ戻ることになった。

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   このため紫香楽宮甲賀寺の盧舎那仏建立の計画は幻と消え、奈良の東大寺盧舎那仏像として完成されることになった。

 

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