奈良散歩 その5 奈良時代とは
大仏殿を裏から見ながら、二月堂への道を歩いている。
道の左手から奈良名物の鹿がゆっくりと現れ、まったく何の警戒心もなく道を横断して右手の広場の方に歩気去っていく。
このような風景は、たぶん東大寺境内の最も自然な風景なのだろう。
ところで、奈良時代は710年から794年までの僅か84年間しかない時代で、ここからしばらく奈良時代がどんな時代だったか考えていく。
奈良に遷都して最初に天皇になったのは女帝である元明天皇である。
元明天皇の前には彼女の子どもである文武天皇が天皇についていて、それから母の元明天皇となり、次に文武天皇の姉の元正天皇が天皇となっている。
奈良遷都については、藤原鎌足の子である藤原不比等の存在が非常に大きかっただろうと思われている。
藤原不比等は文武天皇に自分の娘である宮子を嫁がせており、二人の間にできた子どもが聖武天皇となった。
聖武天皇は在任期間が非常に長い天皇で、奈良時代の半分近くに渡って権力の座に就いた方である。
この聖武天皇の妃になられた明子(光明子)も、実は不比等の娘である。
天皇に宮子と明子の二人の娘を嫁がせて奈良時代の創設期からほぼ全般に渡って、天皇の血の中に藤原の血を入れた不比等は、奈良時代においては「この世をばわが世とぞ思う望月の・・・」で有名な藤原道長級の実力者だったと想像される。
天皇の血についても、奈良時代は天智天皇、天武天皇、そして藤原不比等の三人でほぼ固められていたといっても言い過ぎではないように思える。
そういう近親者の中で確執があって小競り合いを繰り返し、簡単には収まらないたいへんな時代であった。
いろいろ不幸な出来事が重なって、なんとかこの国を無事に治めたいと願った天皇は、日本を仏法の力で護り治めて行こうと考えて、全国に国分寺を造り、奈良にはその総本山である東大寺を置いたのである。
いささか奈良時代の話が長くなったが、また二月堂への道を歩いていく。
二月堂裏参道を二月堂に向かって歩いているが、既に右手上方部に二月堂が見えていて、側溝の脇には鹿が芝草をのんびりと食んでいる。
いかにも東大寺らしい風景であるが、この風景を赤く塗られた一般車両進入禁止の三角錐の標柱が邪魔をしている。
これさえなければ更に気分よく散歩できるのだが、一般車両がここにお構いなしに侵入する状況に比すれば、これも仕方のないことである。
道に覆いかぶさるように成長している柿の木に、僅かばかりの柿の実がついていて、正岡子規の世界を彷彿させる世界が目の前に広がって、実にいい11月の風景となっている。
思わず目の前の柿を一つ落として食べたくなるような気分になった。
いよいよ二月堂に近づいて来たが、この辺りから見る二月堂はどこからか高貴な気品が漂っているようである。
しばらく行くと、大急ぎで二月堂方向から駆け下ってくる若い女性とすれ違った。
どうやら地元の方のようで、これから出勤のために道を急いでいるのだろうと推測した。
女性が過ぎ去ったあとの二月堂を正面に見てのこの一角は、絵心のある方なら誰でもここに立ち止まって写生でもしようかと思うような風景となっていた。
二月堂裏参道にはまだ街灯の灯りが灯っていて、この辺りの家々はまだまだ静かに眠りについている時刻である。
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