奈良散歩 東大寺二月堂への道 その6 二月堂に到着


 ようやく、東大寺二月堂に到着である。





1

 東大寺は聖武天皇を除けば、良弁と行基が最もその設立に貢献したということになる。

良弁は東大寺の初代別当(僧官の一つで、東大寺などの大寺に置かれた長官で、一山の寺務を統轄した。)になっている。


 その下で、事務局長のような仕事をしていたのが実忠である。





2

 東大寺設立までは、その建設から事務まで、東大寺の設立がされてからはその組織から人事まで、一切合切を取り仕切り行っていたのが実忠である。

 たいへん優秀な方で、労を惜しまず東大寺のために働いた。





3

 この実忠が二月堂を創建し、ここで修二会の始まりとなる「十一面悔過」が752年2月1日から14日間行われたと伝えられていて、その後修二会は1300年程に渡って1回も休むことなく現在まで伝統行事として繰り返されて来た。

農耕を行う日本では、年の初めに順調と豊作を祈る祈年祭(としごいまつり)が重要視され、神や祖霊の力で豊年を招き災いを遠ざけようとした。


修二会は、祈年祭に対応した仏教の行事として形成されその後定着した行事で、特に東大寺二月堂で行われる修二会は、「お水取り」の通称で知られる超有名な行事となっている。





4

 修二会のシンボルのような行事が、二月堂の舞台で火のついた松明を振り回す「上堂の松明」である。

室町時代くらいまでは50cmくらいのチョロ松明程度のものだったというが、江戸時代頃から徐々に大きくなった。


31日から14日までの2週間の間、「上堂の松明」は連日行われるが、12日は一回り大きな籠松明が出る。





画像1

 実際にこの行事を見たことがないので、この場はネットから借用して紹介する。

特別の日となる12日は長さ8m、重さ70kg前後の11本の籠松明が上堂され、他の日は長さ68m、重さ40kg 前後の10本の松明が上堂される。


実際ネットの動画で見ると、修二会を行う練行衆と呼ばれる11人の僧侶の迫力は凄まじいが、この場は想像で済ますことにする。





6

 「上堂の松明」の行事や練行衆のことなどを頭に思い浮かべていたら、目の前を1匹の鹿が通り過ぎて行った。



7

 それではこれから、二月堂の舞台まで歩いていく。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント