探険家の歴史 第2部 ボルガ川の旅 その1 「ボルガ源流地」から

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 ボルガ川上流部地図、大きくして見てね。 ↑(いつものように最後に問題あり、答えてね。)




 ボルガ川は、モスクワとサンクトペテルブルク(旧レニングラード)の中間に位置するロシア西部のバルタイ丘陵に、その源を発する。


 源流の村は、ボルゴベルホーベ村、白樺の林やトウヒらしい松の巨木、モミの木やドロの木の混合林があり、湿地や小川の周辺ではハンの木が密生し、秋にはこのあたりの森でキノコが沢山採れると聞いた。


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 ボルガの水源には小屋が建てられており、その小屋の水溜りの中に、周りの森から滲み出たボルガの最初の一滴が誕生する。


 ボルガの源流は、長江やアマゾンなどと違い、ミシシッピの源流部と同じで、僅か225mの標高の場所から、静かに音も立てず流れ出している。




 ロシアは東スラブ人の国である。


 スラブは東スラブ人(ロシア人、ウクライナ人 、ベラルーシ人)西スラブ人(ポーランド人 、チェック人、スロバキア人)、南スラブ人(スロヴェニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、ブルガリア人、マケドニア人)に分類される。


 スラヴ人は古代、奴隷として多く扱われたため、英語では”スレイヴ”(奴隷)と言う言葉があるが、本来のスラヴ語の「スラヴ」の意味は、偉大さや栄光を意味するもの(例:ロシア語:славаスラーヴァ)である。


 ロシアとバルト海をはさんで北欧の諸国があるが、ロシアの国の成立には北欧のバイキング達の活躍があったことを知っているだろうか。


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 スカンジナビア半島やユトランド半島に住んでいた北ゲルマン人(ノルマン人)は、バイキング(入り江の人々という意味)と呼ばれ、8世紀の末からヨーロッパ各地の沿岸地方で交易や海賊をして、勢力を次第に拡大していった。


 キエフの修道士、ネストルの編纂した『過ぎし歳月の物語』(『原書年代記』とも言う)によると、862年、スウェーデン・ヴァイキングのノルマン人・ルス族(ロシアの語源)が首長リューリク(?~879)に率いられて北西ロシアに位置する「ノヴゴロド」を占領し、スラヴ人を征服してロシア最初の国家を建設した。


 ノヴゴロドの名前を訳すと『新しい街』の意になるが、その名に反してロシアで最も古い都市「ノヴゴロド」は、スウェーデン・ヴァイキングによって建設されたのである。


          
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 ノブゴロドにある、ロシア一古い教会  ↑


 このノヴゴロドを建設し、古代ロシアの中心都市「キエフ」を建設した人々は「ルーシ」と呼ばれ、その「ルーシ」がロシア(ルーシ族の国の意味)と呼ばれるこの国の、前の呼び名となった。


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 ノブゴロド風景、日本の奈良のような歴史のある街です。↑


 ルーシ達は、東スラブ人の居住地を次々と支配し、その支配の過程の中で、「ルーシ」の国が形成されていった。


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  黒丸の都市が、「ルーシ」の都市郡です。 ↑


 ノヴゴロドやキエフを建設した北欧バイキング達は、バルト海からラトガ湖を経てボルホフ川を上り、途中のわずかな陸地は船を運んでボルガ川水源の村に入り、そこからボルガを延々と下ってカスピ海に出て、対岸のペルシャの地まで到達し、バクダッドなどイスラムの諸都市と交易したという。


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  カスピ海沿岸の都市、バクーにある隊商宿(キャラバンサライ) ↑





 トベリ(旧カリーニン)市はトベリ州の州都で、ヨーロッパロシア中央部、東ヨーロッパ平原の中央に位置している。(冒頭の地図参照)


 古代「ルーシ」の時代においては、ヴォルガ水系最上流地の河川交易路の重要な拠点都市として、ペルシャやインドとの交易に貢献したり、また北の中心ノブゴロドと南の中心キエフを結びイスタンブールまで繋ぐドニエプル川交易路の拠点都市としても栄えていた。


 この街に、18世紀のロマノフ王朝のロシア女帝「エカテリーナ2世」が、サンクトペテルブルグ(旧レニングラード)とモスクワとの往復の途中で泊まるための「旅の宮殿」を造り、19世紀の詩人プーシキンもここにしばらく滞在したことがあったという。


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   詩人プーシキンです。 ↑


 アレクサンドル・プーシキン(1799~1837年)はロシアの国民的詩人、彼がグルジアの地に流刑になった時の詩を紹介する。



   「 乙女よ。私のために歌うな 」 


乙女よ、歌わないでくれ。そのグルジアの悲しい歌を。

その歌は私に遠い彼方の岸辺での過ぎ去った昔を思い出させるから。


ああ、お前の残酷な調べはあの草原を、夜を

そして月明かりに浮かぶあの娘の姿を思い出させるのだ。


お前の姿を見ているだけなら、私はその美しい姿を忘れられる。

だが、ひとたびお前が歌うと、あの娘の姿がまた現れてくるのだ。


乙女よ、歌わないでくれ。そのグルジアの悲しい歌を。

その歌は私に遠い彼方の岸辺での過ぎ去った昔を思い出させるから。


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   プーシキンはこのグルジアの首都「トビリシ」で美しい娘に出会ったのだろう。↑


 尚、この詩はセルゲイ・ラフマニノフ Sergei Rachmaninov ( 1873 - 1943 )の歌曲としても有名である。


 また、ボルガの河岸に臨む公園内には、トベリ州出身の15世紀の大航海者「アファナシー・ニキーチン」の銅像が立っている。


 北欧のバイキングの志を受け継いだかのように、ニキーチンはボルガ川を下り、ボルガ河口からカスピ海を経てペルシャへ、そしてついにインドに到達した。この到達年次は、喜望峰を経由してインドへ到達したパスコ・ダ・ガマの記録1498年より、四半世紀以上早く、1466年から1472年へかけてのことであった。


 僕も、このロシアの国を創るきっかけとなった北欧バイキング達やトベリの英雄「ニキーチン」と同じ行程を辿り、川の源流地から「ボルガ川の旅」を進めて行くことにした。


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  最終目的地は、ボルガ河口部の、ここカスピ海です。↑



 ここで、問題です。


 あなたがルーシ時代のトベリの探検家なら、どこへ探検しますか?いけるのはせいぜいインドまでですが。 


 1 ペルシャへ絶世の美女を探しにいく。


 2 アルメニアへ、ノアの箱舟が到着したというアララッド山を見に行く。


 3 ウラル山脈を超え、シベリア探検へ行く 


 4 その他

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