奈良散歩 その14 入江泰吉旧居にて 

 東大寺ミュージアムを出たあと、黄線のように歩いて入江泰吉旧居に行った。

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  入江泰吉は奈良を中心に活躍した高名な写真家である。

東大寺の旧境内地である片原町に生まれ、古美術品の鑑定で生計を立てていて、家は裕福ではなかったが美術を愛好する気風があった。

母は観音信仰をもっていて、入江を伴ってよく東大寺二月堂に詣でたという。

後に東大寺別当となる上司海雲とは、一緒に野球などもした幼なじみであった。


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  この通りの中ほどの左側に、入江泰吉の旧居がある。

長兄の影響で画家を志していて、日本画家の土田麦僊に弟子入りする手はずが整っていたが、東京美術学校の学生だった次兄に画家で成功するための厳しさを説かれて断念した。


それからしばらくして、長兄から「ベスト・コダック・カメラ」を譲ってもらって、当時まだ新興芸術であった写真に目覚めたのである。


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   ここが、入江泰吉の旧居である。

入江泰吉は192520歳のときに、大阪市の写真機店に就職し、193126歳で独立して写真機材店を設立し、南海鉄道、関西汽船などの広告写真、大阪営林局の記録写真として黒部渓谷の写真なども手がけた。


記録映画の撮影や、劇映画、漫画映画の製作も経験したが、経済的理由で挫折、1928年に知人の依頼で文楽人形のかしらを撮影したのを機に、4年間文楽座に通いつめて黄金期の文楽を撮影し、1940年には朝日新聞社主催の「世界移動写真展」に組写真「春の文楽」を出品して最高賞を受賞した。


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   太平洋戦争末期の1945年3月に大阪大空襲で家を焼失し、奈良に戻って放心状態の中で亀井勝一郎の「大和古寺風物誌」を手に奈良の古寺を遍歴した。

終戦後の1946年、たまたま東大寺に撮影に来ていた入江は幼馴染の上司海雲(当時、東大寺観音院住職)と久々の再会を果たした。


入江は上司の紹介で、志賀直哉が以前奈良で主催していた文化人サロン(高畑サロン)の後継となる観音院サロンに入った。


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   ここで、月一度志賀を囲んで開かれる「天平の会」が発足した。

この会で、会津八一(歌人)、小林秀雄(批評家)、亀井勝一郎(批評家)、広津和郎(小説家)、吉井勇(歌人)、棟方志功(版画家)、杉本健吉(洋画家)、須田剋太(洋画家)らの一流文化人と交流を持つこととなる。


入江泰吉を紹介するには、彼の作品が一番いいので、代表作品を3点ほど紹介する。


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             東大寺大仏殿
7

                宵月薬師寺伽藍(1982年頃)
8

              唐招提寺金堂列柱 1985年

 これで入江泰吉を終える。

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