甲州街道と佐久平みち その25 望月宿 

 望月宿は海野宿からはレンタカーで14km、時間にして25分程の距離である。

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  この道中の景色が景色と適当に曲がりくねった道路がドライブするには格好のコンディションとなっていて、冬に行うゲレンデスキーでの滑りを思い出しながら、まるで白馬高校スキー部の方々のように、豪快にカツスピーディにこの道を走った。

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  午前10時ころには、望月宿に到着した。

望月宿は中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場で、1843年の「中山道宿村大概帳」によれば、望月宿の宿内家数は82軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠9軒で、宿内人口は360人であった。


望月宿の名は、平安時代からこの地を収めていた豪族望月氏の姓や、その望月氏が朝廷や幕府に献上していた馬の名産地として蓼科山裾野にある「望月の牧」に由来する。


望月の牧の由来は、一族が毎年旧暦815日の満月の日(望月)に、育てた馬を朝廷や幕府に献上していたことによる。


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  望月宿では、佐久市立望月歴史民俗資料館に入った。

ここは中山道望月宿の本陣跡にあり、「郷土の歴史と文化」「中山道 望月宿」「人々のくらしと伝統」の三つのテーマに分けて展示されていた。


さらっと展示されたものを見て行ったが、望月の牧に関する展示物に目が行った。


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  これは望月宿本陣に伝わる、月毛の駒と駒姫の恋物語を題材にした版画で、タイトルは「望月の牧」である。

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  この版画に、作者の森獏郎氏が「望月の牧」の板によせてという詩を書いて、版画の隣に展示していた。

望月宿は平安時代には清少納言の枕草子にも取り上げられた程の有名な場所で、この町を訪れた司馬さんは、「街道をゆく 信州佐久平みち」の中で、延喜式による平安の「望月の御牧」や、清少納言の枕草子の中での「望月宿の記述」へ思いをはせている。


御牧というのは朝廷の直轄牧場のことで、延喜式によればこの御牧は甲斐、武蔵、信濃、上野の4か国にしかなかった。


この4か国で32ヵ所あり、そのうち信濃が16ヵ所だから、日本一の高爽の地でやわらかい牧草を育てうる信濃は、馬の牧地としては第一等の国だった。


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  信濃の御牧の内、佐久地方には御牧が4ヵ所あり、軽井沢地方に3ヵ所、残る1か所が望月の御牧であった。

清少納言の枕草子の中では、「駅は梨原。望月の駅。山の駅は、あはれなりしことを聞き置きたりしに、またもあはれなることのありしかば、なほとりあつめてあはれなり。」とある。


駅は律令制における官道の宿駅のことであり、梨原の駅は近江にあり、望月の駅は信濃佐久平にあり、山の駅は未詳となっていて、梨原や望月についてはどういう説明もされてないが、要するに「あわれ(景色の良さも重要な要素)」ということであろうと司馬さんは書いている。


清少納言が信州へ行ったとは思えず、地方へ下った男たちが旅をしない宮廷の女官たちに、みやげ話として国々の名所の話をしたのだろう。


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  「駅は数あるが、信濃なる望月の御牧ケ原の景色がもっともよく、秋の夕暮れなど、草遠き原に駒の群れるあり、散るあり・・・・」などと語ったのだろうと司馬さんは話をすすめていく。

望月の駅というだけで、清少納言の脳裏には望月の駅の情景がありありと浮かび、司馬さんの脳裏にも同じ光景が浮かんだのだろう。


司馬さんは「望月の御牧」の景観が眺望できる場所を「街道をゆく 信州佐久平みち」の最後に探していたが、別にそういう景色には出会わずにこの紀行を打ち切っている。


この旅では、司馬さんが果たせなかった「望月の御牧」の景観に出会える場所に立ちたいと、この館を出る前に思った。




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