「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その5 環境考古学者安田喜憲氏と利根川源流の男たちとの共通点を発見 

 僕が現在注目している環境考古学という分野の学問のパイオニアである安田喜憲氏は、ある講演会の中で、西洋文明の目的地としてのユートピア東洋文明の目的地としての桃源郷の意味するものについて記載していた。
 
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彼は西洋文明と東洋文明の違いを、前者は畑作牧畜民の作った文明、後者は稲作漁労民の作った文明としてとらえている。
 
 畑作牧畜民の作った文明は世界の四大文明に代表されるように、湿潤地と乾燥地の境を流れる大河のほとりに誕生し、周りの自然や動物を破壊しながら成長を続ける。
 その性格が最も顕著に現れたのは、15世紀に始る大航海時代からで、彼等は自国の豊潤な自然を余すところなく収奪し、結果として海外にその新天地を求めることとなる。 
彼等の新天地となった黄金の国である新大陸アメリカやインドは、彼等にとっては黄金の国であり、目指すべきユートピアとなるのである。

そのユートピアで、彼等は本国でした事と同じことを繰り返す。森林資源や動物資源の乱獲や破壊は、畑作牧畜民の性格であり、牧羊が草を根まで食べつくすように、その飼い主である人間も、新天地であるユートピアを骨まで食い尽くす。
そして彼等は別の新天地を目指して旅立つのである。まさに牧畜にたづさわる人々の性格が、近代ヨーローッパ・アメリカ社会を作ってきたのである。

アフリカ人はもちろん、インカ帝国やアメリカ原住民など新大陸の原住民、インド人や中国人に代表されるアジア人は、こうしてヨーロッパ人の手によって収奪され、近代化と引き換えに、自国本来の文明を失って行った。

畑作牧畜民の代表であるヨーロッパ人は、アフリカから黒人を大量に奴隷として新大陸アメリカに綿花労働者として売り飛ばした。中国人にはアヘンを売り、茶を手に入れた。中国人がアヘンの受入れを拒否するとアヘン戦争を引き起こし、中国の領土を奪って、上海に租界地を造り、彼等のユートピアを実現する。

西洋文明の目的地としてのユートピアは、原住民や先住民を犠牲にした上でのユートピアでしかなく、勝利者の彼等の横で、虐げられた大勢の下層生活の人々が形成されることとなった。

これに対して、稲作漁労民の作った文明の典型を長江文明に見る安田喜憲氏は、その対角線上にある黄河文明と比較しながら、長江文明の性格を論述していく。
中国には南船北馬という言葉があるが、これは長江と黄河の流域の人々の生活の違いを意味したもので、北馬の地域の文明は龍の文明と呼ばれ、覇権主義的な性格を持つ文明で、この文明は畑作牧畜民の文明となる。
一方、南船の地域の文明は太陽の文明と呼ばれ、再生と循環の世界観を持つ穏やかな文明である。
しかし、実際の中国の歴史の上では、太陽の文明は龍の文明に征服され、太陽の文明は雲南省のような南の果ての地や、海を越えた日本に追いやられる。
これが、中国の先史時代の歴史である。

安田喜憲氏は長江文明の世界観に、21世紀の人類を救う道が隠されていると考えている。

  21世紀の人類は、ヨーロッパ的世界観、安田氏の言葉で言えば「畑作牧畜民」の世界観で埋められてしまった世界に生きているという状況である。
 人口は現在60億を超え、中国の一人っ子政策に助けられながらも、インド人などの人口増加も予測され、2100年には90億人がこの地球上で生息することになるという。
 しかし、相変わらず人類の欲望は切が無く、食欲・性欲などの原始的な欲から支配欲・自己顕示欲などの高等な欲まで、野放し状態である。
 その結果が、地球の存在にまで影響を与える環境破壊を招き、人類の存亡を危惧する警告が環境関係の学者を中心に出されてから半世紀が経つ。

 長江文明の目指す世界である桃源郷は、再生と循環の世界観を持つ穏やかな世界である。
 僕はこの世界に、渓流釣りの趣味を通じて、非常に慣れ親しんできた。内山節の世界もそうである。

 彼の哲学の中で、産業社会に組み入れられた都会の時間と区別された時間の概念として、里山生活者の時間がある。
 里山の生活は、自然相手の生活であり、自然を無視しての生活は成り立たない。自然との共存共栄、その中から里山の時間は生まれてくる。

 利根川支流神流川源流地での半農半学の生活を通して、現代を形成する社会の在りように違和感を感じ、日本の森の文化、そこから生まれてきた里山の生活と文化を見つめ愛しんできた内山節の哲学の根底にあるものと、安田喜憲の思想の根底にあるものとは、非常に近いものであると考えている。

安田喜憲の考え方や方向は、根本では内山節の哲学の中に回帰する。

 それは、東洋が育んだ循環と再生の思想そのものである。自然や季節と共にあるものである。
 渓流釣師でもある内山節は、毎年めぐり来る季節の来訪を敏感に感じ取ることが出来るし、それは同じく渓流釣りを趣味として平成を生きてきた僕にも同様に言えることである。

 21世紀をリードすることになると思われる循環と再生の思想だが、その源流は意外に身近な所、僕たち日本人の文明のルーツにあった。
 その目指す場所、桃源郷を僕は利根川源流の男たちの生きた歴史の中に見出した。義一さんもその一人である。

 内山節が利根川源流の男たちとともに生活したら、彼の哲学に変化が生じたかどうか、僕は利根川源流の男たちも神流川源流の男たちも、根本的なものは何も変わらないと考えている。
 藤原の地域に生を受け、藤原の地域で働き、藤原の地域で死ぬ。名を残して死ぬ者もあれば、無名のまま死ぬ者もいる。
 男たちの命は時の流れのように循環し、季節のように再生する。その事実こそが桃源郷そのものではないかと、僕には思えた。

征服と拡大の時代から、循環と再生の時代へ、20世紀から21世紀への変換は、彼等哲学者や学者の中では、そんな意義をもって、定義されることになるのだろうか。
 
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 僕は桃源郷を静かに去り、利根川の一つの源流である宝川で源流釣行に挑んだ。
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 そして幸運にも、1匹の岩魚を釣り上げることができた。
 それを心の土産として、水上の地を発った。午後2時になっていた。

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