「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その21 東慶寺を歩く

次に、円覚寺とJR横須賀線の線路を挟んで向かい側に立地している東慶寺(鎌倉尼五山二位)に向かった。 東慶寺は臨済宗円覚寺派の寺院で、この寺の開山者である覚山尼は円覚寺を開山した北条時宗の夫人である。 夫と妻の開山となる寺が線路を挟んで向かい合って建てられているのは、鎌倉を旅するものにとっては微笑ましい情景である。 東慶寺は正面奥の…
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奈良散歩 その31 薬師寺東塔 

二泊三日のレンタカーでの旅の一日目は西の京・佐紀路散策、二日目は平城宮跡・佐保路・きたまち散策、三日目は斑鳩散策を予定している。  まず一日目の西の京・佐紀路散策だが、このような日程である。 トヨタレンタJR奈良駅前店でトヨタビッツを借りて、最初に西の京にある薬師寺に向かった。  薬師寺周辺は道が狭く駐車場に苦労したが、南門の近…
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思い出の中の川 第17回 「出羽街道の旅」

「思い出の中の川」の「山北の旅」最終回は、2010年5月4日に旅した「出羽街道の旅」である。 この旅では前日の5月3日に海府の小河川を釣行し、勝木の山北ゆり花温泉・交流の館「八幡」に宿泊、翌日の5月4日に山北地区を通る出羽街道をレガシーで走った。  「出羽街道の旅」の出発点は、大毎集落にある吉祥清水である。  この吉祥清水…
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父と子のアラスカ 星野道夫 ワタリガラスの神話

父と子のアラスカ 星野道夫 ワタリガラスの神話   https://www.youtube.com/embed/pvKKMQeC0yE星野道夫インタビュー(「City Voice 市川の街から No.17」1995.春号) 星野さんの子供の頃のことから話していただけますか?生まれたのはJR本八幡駅のすぐ近くなんです。駅の構内放送が聞こ…
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ロシアのアネクドート傑作集から その5 アラカルト 

ロシアのアネクドート傑作集から その5 アラカルト  その1 中国人がモスクワから戻りました。 「それで、モスクワはどうだった?」 「いやぁ~、ホントにいい所だよ。 人は少ないし、地下鉄も半分(中国の)しか乗ってこないよ・・・」 その2 「車はまだか? 飛行機に遅れるじゃないか!」 タクシ…
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金沢紀行 その16 小立野台地を散策 

昼食後は、犀川と浅野川に挟まれた小立野台地を散策する。 小立野台地は金沢城の搦め手(裏又は背後)にあたり、上級武士の屋敷があった場所である。  上図の①~⑤を中心にこれから小立野台地を散策するが、この道は金沢城築城の際に戸室山から切り出した石を運んだ石曳の道である。  まず、①の八坂へ行き、坂の下まで歩いてみた。  そこから…
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探検家の歴史 第4部 その5 近藤重蔵(探検家として人間として、尋常でないレベルに達した人)

 近藤重蔵(1771年〜1829年7月16日))は、江戸時代後期の幕臣で探検家である。間宮林蔵、平山行蔵と共に文政の三蔵と呼ばれている。  1771年に身分の低い貧しい武士である御先手組与力・近藤右膳守知の三男として江戸駒込に生まれ、山本北山に儒学を師事した。  幼少の頃から神童と言われ、8歳で四書五経を諳んじ1…
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近江街道をゆく その12 石積みの門前町「坂本」を散策 その4 本家鶴喜そば本店で昼食

日吉大社を見終えて午前中の日程終了ということで、楽しみにしていたそばを食べに、最澄の生まれた寺である生源寺の向かい側あたりにあるそば屋を目指して坂を下った。  大通りに面して「日吉そば」が店を出しているが、このそば屋は目的のそばやではない。 このそば屋の左手の小路を入っていく。  この格調の高そうな築130年の入母屋造りの建物のそ…
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韓の国の旅その29   サムギョプサルの夕食後大邱で宿泊

 海印寺観光を終えると、僕らは大邱に戻って、大邱のレストランでサムギョプサルの夕食となった。  サムギョプサル(三겹살、삼겹살)とは韓国の肉料理のひとつ。「サム」は数字の3、「ギョプ」は層、「サル」は肉を表し、日本でいう三枚肉すなわちばら肉の意味で、「サムギョプサル」と言えばこの豚の三枚肉の焼肉料理のことを指す。  食べ方だが、まず肉を…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第20回はイスラエル

 今回は、アラビア半島の最南端のイエメンと対照的に、最北端に位置するイスラエルです。  イスラエルはユダヤ教の国で、紀元前ユダヤ人はエジプトで奴隷として使われていました。  モーゼに率いられ、エルサレムの地に戻り住みついたのですが、紀元後すぐにローマ帝国に攻められ、ユダヤ人は世界中に離散(ギリシャ語ではディアスポラ)しました。  …
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その20 円覚寺を歩く

円覚寺入口の階段を上がると、まず瑞鹿山の額が掲げられている総門である。  創建当時の伽藍配置は総門・三門(山門)・仏殿・法堂・方丈が一直線に並ぶ典型的な禅宗様伽藍配置であったが、現在法堂は失われている。 円覚寺の主な創建理由は文永の役と弘安の役の戦没者の慰霊を弔う為であるが、執権時宗の精神的支柱となった禅道を広めるためもあった。…
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奈良散歩 その30 奈良町の散策を終える 

ならまち格子の家には10分ほどしかいなかった。   次に黄☆印の十輪院に向かった。    十輪院は元興寺旧境内の南東隅に位置している。寺伝によると、十輪院は元正天皇の勅願寺で元興寺の一子院といわれ、右大臣吉備真備の長男の朝野宿禰魚養(あさのすくねなかい)の開基とも伝えられている。 南門(重要文化財)から十輪院の境内に入った。 …
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ロシア人が遠くに旅行したくなる「プーシキン」

 あるロシア文学者がプーシキンについてこう語っている。  「プーシキンを読めば、ロシア人は遠く旅行をし、多くの本を読んだような気分になれる。」  ロシアではすべての人がプーシキンを知っている。  プーシキンの名前を聞くとロシア人の心は喜びと軽やかさと感謝でいっぱいになるという。  プーシキンと同時代の作家ゴーゴリは「プー…
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ロシアのアネクドート傑作集から その4 レストランでの話

その1 「ウェイター、こんなまずいもの食えるか!コックを呼べ!」 「無駄ですよ、彼も食べません。」 その2 「ウェイター、スープがすっかり冷たいんだけど?」 「それはそうです、“シベリア風”ですから。」 その3 「ウェイター、わしのステーキはどこだね?」 「レモンの下です。」
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金沢紀行 その15 石川県立美術館で昼食

これから成巽閣(せいそんかく)などを見て、石川県立美術館で昼食を食べ、午後から小立野台地の石曳の道を歩く。  百万石の加賀藩には1万石以上の重臣が十二家あり、この屋敷に住んでいた津田玄蕃もその一人だった。 これは屋敷内に置いてある辰巳用水の石管の遺構であるが、用水は1632年に約11km上流の犀川から取水し城内へ木管…
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探検家の歴史 第4部 その4 松田伝十郎(樺太探検と蝦夷地経営に活躍)

 松田伝十郎は江戸時代の越後国出身の幕臣・探検家で、間宮林蔵と樺太を探検し、樺太見聞の実測図を作成した。  伝十郎は越後国頚城郡鉢崎村(現新潟県柏崎市)の貧農浅貝長右衛門の家に長男として生まれ、そこで道普請をしていた幕臣大西栄八郎にその才能を見出されて江戸に赴いて武士となるべく修行した。  その後、大西の同僚…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO5

 茶の味には微妙な魅力があって、人はこれに引きつけられないわけにはゆかない、またこれを理想化するようになる。 西洋の茶人たちは、茶のかおりとかれらの思想の芳香を混ずるに鈍ではなかった。  茶には酒のような傲慢なところがない。 コ ーヒーのような自覚もなければ、またココアのような気取った無邪気もない。 1711年にすでにスペタテイター紙…
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近江街道をゆく その11 石積みの門前町「坂本」を散策 その3 日吉大社に参拝

これから日吉大社に行く。 全国には日吉神社、日枝神社、山王神社と呼ばれる日吉大社の神様の御霊(みたま)をお分けした分霊社が約3,800社あり、これから行く日吉大社が総本宮となっている。  日吉大社は東本宮と西本宮に分かれていて、ここの400,000㎡の境内は国の史跡となっているが、西本宮の方が建物の数も多く東本宮の数倍の敷地となって…
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韓の国の旅その28  世界遺産、海印寺の見学を修了

 八万大蔵経板殿を見学すれば、もう海印寺を降りるだけである。  もう一度じっくり、今日の日程のメインとなる大蔵経板殿を目に焼き付けた。  朝鮮民族の宝物を保管している保管庫の役目の重要な建物、これからも火災等の災害に遭わないことを祈念した。  大蔵経板殿の向かって左の坂道を降りて行く。  途中で周ガイドが足を留めて寺に関わるエピソードを…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その3 宮沢賢治の「雨にも負けず・・・」

 宮沢賢治は童話作家だが、彼の詩も実にいい。 宮沢賢治詩集は2冊ほど手元にあり、幾度かページをあいまいにめくったり、眠るまでの時間に数編だけ読んだりしたことがあるが、じっくりと詩集にかかれている作品の意味を考えたことは、これまで一度もなかった。  中学生や高校生の当時、宮沢賢治の作品に影響され行動したというような記憶が皆無で、青春の作…
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CONVERSATION PEACE スティーヴィー・ワンダー

音楽あり、↓クリックです!! https://youtu.be/9bsKqTwEU7I  スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder, 本名:Stevland Hardaway Judkins, 1950年5月13日 - )はアメリカのミュージシャン、作曲家、音楽プロデューサー。歌のほか、様々な楽器を演奏するマ…
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河は眠らない 開高健

森を歩いているとよくわかるけれども、 斧が入ったことがない、 人が入ったことがない森、 というのがそこらじゅうにいっぱいある。 それで土が露出していないで、 シダやらなんかに覆われているが、 草とも苔ともつかないもので森の床全部が覆われている。 それから風倒木が倒れてたおれっぱなしになっている。 これが実は無駄…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その19 ホテルニューカマクラから北鎌倉へ

11月7日(土)の日程である。 午前中に北鎌倉のお寺を巡り、午後から鎌倉アルプスハイキングコースを歩く予定。 今夜の宿泊先だが、土曜日はどこのホテルも料金が高く設定されている場合が多く、ホテルシャングリラ鶴岡も例外ではなく土曜日の宿泊料金が1万円を軽くオーバーしていたので、急きょホテルニューカマクラに宿を予約した。  このホテ…
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奈良散歩 その29 奈良町散策(格子の家まで)

奈良町資料館を出て、通りを左に曲がった。   今度の通りは庚申堂のある通りで、これから赤字あ庚申堂、赤字い御霊神社、赤字うならまち格子の家の順に廻っていく。   まず、赤字あ庚申堂である。庚申堂は庚申信仰に基づいて建立される仏堂のひとつで、庚申信仰とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道…
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思い出の中の川 第16回 一瞬にして永遠の里山風景

釣りの楽しみは色々あるが、季節を感じる楽しみもその一つで、特に雷集落で味わう早春風景が釣り師のお気に入りである。 雷集落を流れる向川で山女を釣りあげたことは、一つも思い出の中には残っていない。 雷集落へは、春先に足早にやってきて、まるでお祭りのように賑やかに宝石のように鮮やかに、「スプリングエフェメラルや山菜達が奏でる」一瞬にし…
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青銅の騎手──ペテルブルグの物語── プーシキン

  序  言  この物語に書かれた事件は事実によっている。洪水の詳細は当時の記録からとられたものである。好事家はヴェ・エヌ・ベルフの編纂になる記事によってただすことができる。   序  詩 荒寥とした水の岸辺に、 彼*はたっていた、偉大な思いにみちて、 そして遠くを眺めていた。彼の前には広々と 川が流れ、見す…
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暑い最中にでかけた、古代ロマンのプンプンした「城の山古墳」調査現場説明会その2

  城の山古墳は4世紀前半代の築造と考えられ、県内で3番目の大きさの古墳。  前期古墳としては日本海沿岸で最北の古墳である。  古墳時代は、3世紀半ば過ぎから7世紀末頃までの約400年間を指すことが多いが、3世紀後半から、4世紀初め頃が古墳時代前期である。  古墳時代にヤマト王権が倭の統一政権と…
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探検家の歴史 第4部 その3 探検家を超えた村上島之丞

村上島之丞(1764年-1808年)は、本名を秦檍丸という。  18世紀の中頃伊勢の神職の子として生まれ、寛政の改革の立役者である松平定信に見出されて数回に及び蝦夷地の探検を行なった北方探検家の一人である。  彼は探検家としても名高いが、地理学や風俗学に長じており、また文章や絵画にも優れた才能を持っていたため…
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近江街道をゆく その10 石積みの門前町「坂本」を散策 その2

 これから、叡山に向かって右側の街を散策する。 黄線に沿って街を歩き、大宮川に出たところで大宮川に沿って旧竹山院まで行く。 歩いてからしばらくして両側に石積みの街並みとなり、とても印象的で美しいと感じた。 このような街並みで、いつまでも初めて来たこの街を歩いていたいと思った。 2~3分歩いて、四角を左に曲がって里…
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(動画)韓の国の旅 その6 海印寺(ヘインサ)を訪ねて その2

 慶尚南道 、伽耶山南麓に位置する海印寺は、通度寺(トンドンサ)、松広寺(ソングヮンサ)とともに韓国三大名刹のひとつに 数えられている。 世界的な文化遺産である『高麗八 万大蔵経』の版木を収蔵している。 仏教を建国の理念とし、仏の加護によって北方民族・元の侵略から国を守ろうとした高麗が、全勢力を傾けて建造したものである。それでは…
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韓の国の旅その27  世界遺産、八万大蔵経板殿を見学  その2

 続いて、蔵経板殿の説明に入っていく。  海印寺蔵経板殿は、13世紀に作られた世界文化遺産の高麗大蔵経板8万1258枚が保管されている宝庫として、海印寺に現存する建築物の中で最も古い建物。  蔵経板殿は、正面15間もなる大きい規模の二軒の建物が南北に並んで配置されている。蔵経板殿の南側の建物が修多羅蔵、北側の建物が法宝殿と呼ばれ、東側と…
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感動する論語 大いに学び、しまい込まずに実践

人生の目標 1 善く生きるということ  大いに学び、学んだことはしまい込まずに実践すると気分がいいぞ。  考えの遠く隔たった者とも語り合い、友達づきあいができるようになると楽しいぞ。  周りが自分を認めてくれないからってクサるなよ。  オンリーワンとなるよう精進しようや。  黙々と過去を探…
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60年目のウワキ・・・・・・

 昔々その昔、ブログ仲間の香さんが書いたお話です!!  60年目のウワキ・・・・・・  けっこうこんな話って、ありますよね(。・ω・。)ノ♡  もちろん香の話じゃあありませんw  同居の80近いおじいたまの話です(*/∇\*)キャ  香のおじいちゃまは高校の数学の先生をやってました。 ちょ→怖くって、小さいころから香が勉強…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第19回はイエメン

   イエメンはサウジアラビアの南の国で、この国は実は「釣り師のあこがれの国」でもあります。  ここでは「シバの女王の国」と「モカマタリ」についてお話します( ^)o(^ )  まず、「シバの女王の国」ですが、牧師の家に生まれ牧師の人生を歩んだ神戸在住の友人が、中学時代のテニスの練習の合間に、旧約聖書の一節に登場するシバの女王…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その18 宿泊ホテルと食事の話

 ホテルシャングリラ鶴岡で、前夜の11月5日(木)と今夜の11月6日(金)宿泊した。 今回は宿泊したシャングリラ鶴岡とここでの食事を紹介する。  ここは自室前の三階の廊下で、隠れて見えないが写真の左手にフロントがある。  そして、この部屋が前夜の11月5日(木)と今夜の11月6日(金)過ごしたマイルームである。 鎌倉のど真ん…
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奈良散歩 その28 奈良町散策の始まりは元興寺から 

  興福寺を終え、これから奈良町に向かう。   途中で猿沢池越しに興福寺五重塔を再び見たが、やはりここから眺めた五重塔は何度見ても見飽きない絶景である。   昼食時間となっていたので、何処にしようかと悩みながら20分程歩いて、奈良町の吟松という店で1300円の天ざるを食べた。昼食後、奈良町散策の始まりである。 元興寺は奈良市に…
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ネクラーソフ「赤鼻の酷寒(マロース)」から抜粋 その2

さもあらばあれ 農奴の妻のものがたりを われらはおもいついた 話そうために すばらしいスラヴ女の型というものが 今もなお みつけ出せるということを。 ロシヤの農村(むら)には女がいる しとやかできりりとした顔かたち たおやかで 力づよいものごし 歩きぶりも 眼ざしも 女王のような! 盲なら気づきもすまい 眼あきなら…
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金沢紀行 その14  金沢城石垣巡りを終える 

 ここは土橋門石垣である。  土橋門を説明する立札が立っていたので掲載する。  この石垣は「切り石積み」の技術が用いられ、石垣に組み込まれた六角形の石は亀甲石で、水に親しむ亀を表していて、防火の願いが込められていた。   ここは数寄屋敷石垣である。 この付近は数寄屋といわれ、藩主の側室たちの住まいがあったところである。  石積み…
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探検家の歴史 第4部 その2 最上徳内(今世紀における最も卓越した探検家)

 最上徳内はシーボルトに、「尊敬すべき老人」「尊敬すべき老友」で「今世紀における最も卓越した探検家」と高く評価された北方探検家である。  徳内は1754年、出羽国村山郡楯岡村(現在の山形県村山市楯岡)に生まれ、1836年10月14日に、82歳で亡くなっている。  実家は貧しい普通の農家であったが、農業のかたわらた…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO4

 不思議にも人情は今までのところ茶碗に東西相合している。 茶道は世界的に重んぜられている唯一のアジアの儀式である。 白人はわが宗教道徳を嘲笑した。 しかしこの褐色飲料は躊躇もなく受け入れてしまった。 午後の喫茶は、今や西洋の社会における重要な役をつとめている。 盆や茶托の打ち合う微妙な音にも、ねんごろにもてなす婦人の柔らかい絹ずれの音に…
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近江街道をゆく その9 石積みの門前町「坂本」を散策 その1

叡山を降り、湖西線に乗って大津京のビジネスホテル西大津に戻った。 この日の夜はとても冷えそうで外食を食べる元気がまったくなかったので、あらかじめ駅前のコンビニで麻婆飯、サラダ、ビールなど(905円の出費)を買って、自室で夕食とした。 朝食は前日と同じくホテルの食堂で食べ、午前8時半頃にホテルを出た。 今日は一日、石積みの門前町「坂本」…
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(動画)韓の国の旅 その6 海印寺(ヘインサ)を訪ねて その1

 慶尚南道 、伽耶山南麓に位置する海印寺は、通度寺(トンドンサ)、松広寺(ソングヮンサ)とともに韓国三大名刹のひとつに 数えられている。 世界的な文化遺産である『高麗八 万大蔵経』の版木を収蔵している。 仏教を建国の理念とし、仏の加護によって北方民族・元の侵略から国を守ろうとした高麗が、全勢力を傾けて建造したものである。それでは…
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韓の国の旅 その26 世界遺産、八万大蔵経板殿を見学

 九光楼の奥へ進むと、海印寺本殿となる大寂光殿が正面に見える。  韓国寺院の特徴である青銅色の塗装がなされた大きな建物であり、毘盧遮那仏が安置されている。  これは海印寺三層石塔で、石塔の高さは6mあり、統一新羅時代のものである。この石塔は仏像を奉っていて、石塔の周りを回りながら礼拝儀式を行う。三層の石塔も灯籠も何度か倒壊に…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その2 宮沢賢治と石川啄木を訪ねる三度目の旅

北上川への二度目の旅は、ここでは省略する。  北上川への三度目の旅は、宮沢賢治と石川啄木を訪ねる旅となった。宮沢賢治や石川啄木にとって北上川は、「北上川で産湯を使い・・・・」と言われるほど彼等にとっては故郷そのものの身近な川で、彼らの「青春の川」であった。今日の北上川の旅は、宮沢賢治の花巻と石川啄木の 玉山村 に途中下車ということになる…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その17 杉本寺等見学後、茜草屋でお茶

 昼食を終えると、黄線に従って金沢街道を引き続き歩き、黄星印の杉本寺そして鎌倉宮と進んだ。  午前中のオーバーペースがたたったのか、昼食後は足が重くなり、若宮大路にある黄菱形印の宿泊ホテルまでの道がキツかった。  そんなコンディションの中で、15分程歩いて杉本寺に辿り着いた。  杉本寺は寺伝によれば、734年に行基が十一面…
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奈良散歩 その27 興福寺を静かに去る 

 国宝館から出て、去年の10月7日に301年ぶりに再建された、真新しいピカピカの中金堂まで歩いた。  中金堂は東西37メートル、南北23メートル、高さ21メートルで、同じ奈良市の平城宮跡に復元された宮殿施設である第1次大極殿とほぼ同じ規模である。  奈良では江戸時代に再建された東大寺大仏殿(東西57メートル、南北50・5メートル、高…
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思い出の中の川 第15回 雷集落の萌黄色の里山

釣りの楽しみは色々あるが、季節を感じる楽しみもその一つで、特に雷集落で味わう早春風景が釣り師のお気に入りである。 雷集落を流れる向川で山女を釣りあげたことは、一つも思い出の中には残っていない。 雷集落へは、春先に足早にやってきて、まるでお祭りのように賑やかに宝石のように鮮やかに、「スプリングエフェメラルや山菜達が奏でる」一瞬にし…
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金沢紀行 その13  金沢城で石垣巡りにチャレンジ

 足軽資料館から他のところにも行ったが、それは省略する。 このあと今日の宿泊先であるホテルエコノ金沢駅前に入り、部屋の中で、金沢駅で買った中華弁当を食べて夕食とした。 翌5月23日(火)、金沢の2日目であるが、金沢城と小立野大地の石曳の道を巡る上のような日程を組んだ。 まず、金沢城に行った。 金沢城は江戸時代の加賀藩主前田氏…
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暑い最中にでかけた、古代ロマンのプンプンした「城の山古墳」調査現場説明会その1

日本海東北自動車道(にほんかいとうほくじどうしゃどう、NIHONKAI-TOHOKU EXPRESSWAY)は、新潟県新潟市江南区の新潟中央JCTから、山形県を経由し、秋田県秋田市の河辺JCTへ至る、高速道路である。 この新潟中央JCTから36.9kmのところにある中条ITを降りて5分程のところに「城の山古墳」がある。 …
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探検家列伝第4部 その1 松前藩の祖「武田信廣」と松前藩

18世紀後半から19世紀前半にかけて活躍した日本の探検家達を取り上げる前に、江戸幕府から日本の北の辺境の地である蝦夷地(北海道、樺太、千島)の支配権、交易権を公認されていた松前藩について簡略に記する。 渡島半島の南端にはアイヌ文化成立の前段階である擦文時代には、擦文文化と本州土師器文化の間に生じたクレオール(植民地)的文化である青苗文…
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「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎の伝えたかったこと

 1996年に亡くなった司馬遼太郎さんが21世紀に生きる子供たちへ向けて書いた文章です。  子供向けの文章ですが、子供たちにどうあってほしいか、どのような社会であってほしいかを、考えさせられます。 「21世紀に生きる子供たちへ」  司馬遼太郎 私は歴史小説を書いてきた。  もともと歴史が好きなのである。両親を愛するよ…
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近江街道をゆく その8 根本中堂を中心に東塔を歩く

 戒壇院の次に、これから比叡山延暦寺の総本堂である根本中堂(東塔区域の中心的建築物であり、比叡山延暦寺の中心であることからこう言われている)に行く。 中堂という呼称の詳細な由来は、最澄創建の三堂(薬師堂・文殊堂・経蔵)の中心に位置することから、薬師堂を中堂と呼ぶようになり、最終的にこの三堂は一つの伽藍にまとめられて、中堂という名前が残…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その25  海印寺本殿に入る 

 まず、鳳凰門である。 海印行叢林と書いてある下に、鳳凰門と記されている。両側に金剛力士、中には四天王の画を配置してあり、天王門(チョナンムン)とも呼ばれている。  続いて、解脱門をくぐり抜ける。これもまた、東海園宗大伽藍と書いてある下に、解脱門と記されている。現世の苦悩から抜けだして自由の境地に達するという意味を表している門で、ここを…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第18回はサウジアラビア

 アラビア半島の80%の面積を占めているサウジアラビアには、イスラム教の開祖であるムハンマド(マホメット)が生まれたメッカがあり、ここはメジナとともに2大イスラム教の聖地となっています。  サウジアラビアとはサウド家のアラビアという意味で、国民国家ではなく部族間闘争の結果、サウド家が戦いに勝利し、他の部族を従えて作った国家という…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その16  報国寺の竹林にて

今回は報国寺の竹林から始める。 竹林の入口から入って行ったが、天井から降り注ぐ光と竹林群の奏でる光と影の造形があまりに美しいので十枚程の竹林の写真をここで撮影したが、その中から2枚ほどを紹介する。 少しだけ目線を上げると、目の前の竹林の世界はこんなである。  真上に視線を向けると、真上に1箇所の丸い穴が開き、その穴を囲むよ…
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奈良散歩 その26 興福寺国宝館Ⅲ

国宝館の最後に、阿修羅を真ん中に配置した八部衆立像を見た。  八部衆は仏法を守護する8神で、仏教が流布する以前の古代インドの鬼神、戦闘神、音楽神、動物神などが仏教に帰依し、護法善神となったものである。  五部浄は、はるか天上の神々の総称である。色界最上位の色究竟天(色界第四禅天)に浄居天と呼ばれる5人の阿那含の聖者(自在天子、普…
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金沢紀行 その12 足軽の清水家を見学  

家の前に「足軽」の説明看板が立っていたので、それを読んでみた。  「足軽とは戦闘時に駆り出される歩兵のことを指す。戦国時代には弓・鉄砲の部隊を編成して活躍したが、江戸時代には武士の最下層に位置づけられた。」と書かれていた。  それでは江戸時代最下層の武士の家に入っていく。 足軽とはいえ加賀藩において4LDKで庭付きの家がしっかりと与…
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探検家の歴史 第4部 プロローグ

 探検家列伝第一部は、北極、南極、世界の最高峰「ヒマラヤ」、世界の7サミットを目指した探検家・冒険家達を取り上げた。  探検家列伝第二部は、世界の7サミットと関野吉晴「グレートジャーニーの旅」にあやかり、世界5大陸の最長河川をアマゾン川、ミシシッピ川、長江、ボルガ川、ナイル川と、その河口から源流まで極める旅に出た。…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO3

 かくのごとき誤解はわれわれのうちからすみやかに消え去ってゆく。 商業上の必要に迫られて欧州の国語が、東洋幾多の港に用いられるようになって来た。 アジアの青年は現代的教育を受けるために、西洋の大学に群がってゆく。 われわれの洞察力は、諸君の文化に深く入り込むことはできない。 しかし少なくともわれわれは喜んで学ぼうとしている。 私の同国人…
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近江街道をゆく その7  西塔から東塔へ

にない堂の次に、転法輪堂に行った。この階段を降りると、その前が転法輪堂である。 転法輪堂は現在の西塔の中心をなす大堂で、ご本尊釈迦如来を祀ることから、釈迦堂の名で親しまれている。 延暦寺に現存する最古のお堂で、元は大津の園城寺(三井寺)の金堂であったものを、豊臣秀吉の命により1596年に山上に移築したもので、造営年代は園城寺の記録から…
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韓の国の旅 その24 海印寺の美しい参道風景を歩く

 広大な伽揶山南麓に広がる海印寺、その山道を歩き気持ちよさは、この旅随一のものだった。横断幕のハングル文字は何を書いているのか丸で見当もつかない。 儒教の優等生として育った国にしては、同じ漢字圏の国への気配りが足りないとも思ったが、このハングル文字のため漢字国の日本人から見ると、一段と韓国は近くて遠い異国情緒満載の国となるようである。右…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 北上川への旅 その1 「一度目の北上川の旅」の不確かな思ひ出

 平成18年の源流釣行の旅は北上川となった。 この北上川を旅するのは、実は三度目ということになる。 一度目は,僕が学生であった昭和47年のことで、当時の親しい友人と、僕の当時の愛車である軽のダイハツフェローマックスで1週間くらいの間旅をした時に、確か北上川を通ったような記憶がある。                 我が愛車ダイハツフェ…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その15 浄妙寺から報国寺へ

 青砥藤綱旧邸跡を発ち、金沢街道を浄妙寺そして報国寺と歩いた。  まず浄妙寺である。 浄妙寺は鎌倉市にある臨済宗建長寺派の仏教寺院で、山号は稲荷山(とうかさん)、本尊は釈迦如来、開基は足利義兼、鎌倉五山の第五位の寺格である。  ところで五山制度とは我が国の禅宗のうち臨済宗寺院の格付制度で、幕府が任命した住持(住職)を順次上位…
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奈良散歩 その25‐Ⅱ 興福寺国宝館Ⅱ

 次に、7国宝の木造千手観音菩薩立像(旧食堂の本尊)である。  鎌倉初期の南都復興の最後を飾る木彫の巨像で、明治初年まで興福寺食堂の本尊であったが、現在は新収蔵庫の中央に安置されている。5メートル20cmの巨体が堂々と立つ姿は壮観で、その作風は南都復興時に活躍した慶派の様式が顕著である。 なお像内には奈良時代の小金銅仏をはじめ鎌倉造…
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思い出の中の川 第13回 小俣宿 その2

 引き続き、小俣宿を歩いて行く。  ここを歩いて行くと、山口百恵の「いい日旅立ち」をつい口ずさみたくなる。 雪解け間近の 北の空に向い 過ぎ去りし日々の夢を 叫ぶとき 帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる せめて今日から一人きり 旅に出る ああ 日本のどこかに 私を待ってる 人がいる いい日旅立ち 夕焼を探しに 母の背中で聞いた…
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続いてロシア人とウォッカの話を少々 ロシアの小話その2

 ロシアの小話その2 その1  世の中にブスはいない。ウォッカが足りないだけだ。 その2  このウォッカは南京虫の臭いがするという人をペシミストという。  この南京虫はウォッカの臭いがするという人をオプティミストという。 その3   「父ちゃん、酔っ払うってどういうことなの」  「ここにウ…
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金沢紀行 その11  高田家跡と足軽資料館

次に、赤←の道方向に大野庄用水沿いの道を歩いて、旧加賀藩士高田家跡と足軽資料館に行った。  まず、旧加賀藩士高田家跡である。 ここには金沢市指定保存建造物の長屋門や、大野庄用水から水を引き入れて作られた池泉回遊式庭園があり、厩や仲間(奉公人)部屋や納屋なども備わり、江戸時代の武士の生活が窺える場所である。  さっそく中に入ってみた…
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探険家の歴史第3部 第10章 鎖国体制下の日露関係

   鎖国体制下の日露関係をここで年代順に確認する。 カムチャッカ半島を探検したアトラソフ以後のことである。  1711年、イワン・コジレフスキーが千島列島を探検し、最南部の国後島に上陸した。  1739年、ヴィトゥス・ベーリングが派遣したマルティン・シュパンベルク隊が仙台湾や安房国沖に接近したものの、徳川幕府は沿岸防備を強化した為…
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サランヘヨ~韓国に恋をして 黛まどか

 黛まどかという女流俳人は、旅の好きな方である。先人の足跡を尋ねて、松尾芭蕉の奥の細道を辿ったり、北スペインのサンチャゴ巡礼道900kmを踏破したこともある。  今回取り上げる「サランヘヨ」の旅は、韓国の釜山駅を2001年8月21日にスタートし、1週間から5日間の旅を5回繰り返し、ソウル市庁舎に2002年10月30日にゴールした「…
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近江街道をゆく その6  昼食、そして西塔へ

横川を出てこれから西塔に向かうが、その前に峰道レストラン前でバスを降りて、峰道レストランで昼食とした。 11月1日の近江路は平地ではまだまだ秋で夏服にジャンパーを羽織れば十分過ごせるが、比叡山では気温もぐっと下がって、バスから降りると寒さに震えるほどで、急いで暖房やストーブであったかくなっているレストラン内に入った。  ここで食べた…
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韓の国の旅その23 韓国三宝寺刹の一つ「海印寺」の参道を行く

 仁川、水原、龍仁、忠州(丹陽)、安東、慶州と韓国の旅は行程を進めてきて、これから大邱を超えて、伽揶山南麓の海印寺の見学へ向かう。  海印寺は韓国三宝寺刹の一つで、1995年12月には世界文化遺産に指定された。新羅第40代哀荘王3年(802年)の時代、順応と利貞の二人の僧によって創建された寺院である。  海印寺バスターミナルに到着すると…
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釣り師ジュンチャンと世界を巡る 第17回はイラク

 イラクは、四大文明の一つ・メソポタミア文明の発祥地で、ほぼ完全な形で残っている法典としては世界最 古といわれるハンムラビ法典もここで生まれました。  イラク人の約80%はアラブ人で、約15%がクルド人、アラビア語を公用語とし、国民の97%がイスラム教徒です。  また、イラクは石油大国で、サウジアラビアに次ぐ世界第2位の埋蔵量…
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「鎌倉ものがたりと横須賀ストーリー」 その14 足利公方と青砥藤綱

帰りは朝比奈峠から十二所までバスに乗り、そこから金沢街道を鎌倉駅の方向へ向かって歩き始めた。 金沢街道沿いには鎌倉幕府高官の旧居が立ち並んでいたが、その中から赤字ア;足利公方邸旧蹟と赤字イ;青砥藤綱旧居跡を選んで立ち寄った。  金沢街道の明石橋を通り過ぎ、泉水橋交差点から鶴岡八幡宮方面へ向かうと、最初の目的地である赤字アの足利公方…
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奈良散歩 その25 興福寺国宝館Ⅱ

 次に、7国宝の木造千手観音菩薩立像(旧食堂の本尊)である。  鎌倉初期の南都復興の最後を飾る木彫の巨像で、明治初年まで興福寺食堂の本尊であったが、現在は新収蔵庫の中央に安置されている。5メートル20cmの巨体が堂々と立つ姿は壮観で、その作風は南都復興時に活躍した慶派の様式が顕著である。 なお像内には奈良時代の小金銅仏をはじめ鎌倉造像…
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ロシア人とウォッカの話を少々

 飲食という観点でロシア人の第1印象を一言で言えば、「ウォッカとキャビアとボルシチ」となる。  ウォッカ「アルタイ山」;シベリアの酒、ピリピリとした辛口「ピョートル大帝」;甘すぎず辛すぎず飲みやすいウォッカ。  そのウォッカはロシア人の魂とも言える酒で、これ無くしてはロシア人はロシア人でありえないというくらいのものらしい。 …
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金沢紀行 その10 大野庄用水沿いと土塀のまちなみを歩く

武家屋敷跡野村家の見学を終え、再び長町武家屋敷の通りに出た。  武家屋敷跡野村家の真ん前が大野庄用水に架かる一の橋となっている。 ところで、大野庄用水はいつどうやって開削されたかは明確ではないが、天正年間(1573~91年)に完成したと伝えられていて、金沢で最も古い用水となっている。  金沢城の築城に大きな役割を果たした用水で、金…
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探険家の歴史 第3部 第9章 カムチャッカ半島を制覇したウラジーミル・アトラソフ

 シベリアの制覇の次は、シベリア大陸の東端にぶら下がっている巨大半島カムチャッカ半島の制覇、この半島の面積は472,300km2もあり、日本の約1.3倍の広さである。  カムチャツカ半島について、西洋人に詳細な情報がもたらされ始めたのは17世紀のことで、イワン・カムチャツキーやセミョン・デジニョフなどのロシアの探検家によってこ…
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茶の本 全文紹介 第1章 人情の椀 NO2

 おのれに存する偉大なるものの小を感ずることのできない人は、他人に存する小なるものの偉大を見のがしがちである。 一般の西洋人は、茶の湯を見て、東洋の珍奇、稚気をなしている千百の奇癖のまたの例に過ぎないと思って、袖の下で笑っているであろう。 西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国と見なしていたものである。 しかるに満州の戦場…
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近江街道をゆく その5  元三大師のこと

慈覚大師円仁を終え、今度は比叡山延暦寺の中興の祖として横川に20年居られたという、第18代天台座主良源への道を歩いていく。  良源(912年- 985年)は平安時代の天台宗の僧で、一般には命日が正月の3日であることから元三大師の名で知られており、角大師や豆大師という別称もあり、中世以降は民間の中で厄除け大師として独特の信仰を集め今日に…
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韓のくにの旅 韓の国の旅その22 東洋会館という慶州料理の店で昼食

 慶州の地で司馬遼太郎の「韓のくに紀行」を思い出しながら旅は進んでいく。  午後からはこの旅一番のハイライトとなった世界遺産の海印寺(해인사、ヘインサ)の見学が待っているが、その前に慶州の街へ戻って昼食となった。昼食場所は、東洋会館という慶州料理の店で、豆腐キムチチゲか味噌チゲがメインの食事となる。  ここの場所だが、昨日韓国宮廷料理を…
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「日本最長10河川の旅」での釣り 利根川その5 環境考古学者安田喜憲氏と利根川源流の男たちとの共通点を発見 

 僕が現在注目している環境考古学という分野の学問のパイオニアである安田喜憲氏は、ある講演会の中で、西洋文明の目的地としてのユートピアと東洋文明の目的地としての桃源郷の意味するものについて記載していた。  彼は西洋文明と東洋文明の違いを、前者は畑作牧畜民の作った文明、後者は稲作漁労民の作った文明としてとらえている。  畑作牧畜民…
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